穂村弘対談集『どうして書くの?』を読む

 

 

穂村 『さようなら、ギャングたち』を読んだ時、ぼくがイメージする理想的な詩集だと思ったんですね。

おれの人生にとって『さようなら、ギャングたち』は特別な小説だ。おれにとって最高の小説だ。高橋源一郎を書棚に入れていたおれの父は「詩のような小説もあれば、小説のような詩もある」と言っていたけれど、『さようなら、ギャングたち』の言葉の硬度というものは、詩のそれだと感じていた。

言葉の硬度というものがどういうものか、おれに具体的に説明することはできないけれど、そうなのだ。そしておれは、そのような文章を書きたいと思って生きてきて、書けた試しがない。ただ、おれが志向するのはそのような文章だ。

言葉の絶対零度。おれが目指しているのはそこだ。硬度と同じく、説明できるものではない。ただ、絶対零度の、純粋な氷のような文章を書きたい。そう思う。そこに熱量も盛り上がりもない。技巧はあってもいいかもしれないが、あくまでも冷徹。読むものをして、氷の上を滑るように通り過ぎ、心を凍らせてしまうような言葉。

そんなものを、おれは書きたいと思う。書きたいと思うと言っている時点で、熱がある。熱発している。これを冷やしたい。冷やしたところに行きたいと思う。

おれがなにを書いているのかわからないと思う。ただ、『どうして書くの?』というタイトルから、いろいろの対談内容から、こんなことを考えた。どうして書くのか。こんな場末の日記になにを、どう書くのか。どのように書くのか。どうして書くのか。どうやって書くのか。ろくなことは書かない。

それでも、書くのか?