日曜日に、国立新美術館のピカソ展に行った(展覧会自体の感想については日を改める)。サントリー美術館の方との連闘だ。俺は、その日の朝からうきうきしていた。どこか『ピエロに扮するパウロ』に会いに行けるような気がしていたからだ。実際には会えないのはわかっていた。近くを通り過ぎるだけだ。でも、せめて美術館の方でポストカードか何か買おう、それはとても楽しみに、楽しみに思えることだった。
展示を見終えたあとのショップ。B6サイズで600円のプリント、『ピエロに扮するパウロ』。ここまで来てはもうごまかせない。俺は連れに言う。
「やっぱり、なんというか、僕は、このピエロのやつが一番いいかな、とか」
すると連れは言う。
「あー、わかる、そういうの好きだもんね」
「……!?」
俺は動揺を隠せなかった。あれ、どうして俺がこういうベタでピュアで可愛いの好きなの知ってるの? 美少年好きなの知ってるの? ひょっとしてショタも好きなの知ってるの? あなたは何を見抜いているというの?
「え、あの、たとえば『自画像』(青い方)とか、『若い画家』とか『ふんどし兄弟』(注:『牧神パンの笛』に勝手につけた名前)とか、そんなのとか、僕ってもうちょっと暗かったり、変なのが好きだったりする感じじゃないっすか?」と俺。
「だって、萩尾望都とか竹宮恵子とか好きじゃない?」
あー、アナルほど。家に帰った俺は600円のプリントを額装して、なんかにやけながら眺めたりしている。
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唐突に俺の好きな絵画(生で見たもの)ベスト5、順不同。生涯に見た絵画の総数はたぶんそんなに多くない。
○『ピエロに扮するパウロ』(パブロ・ピカソ)……とりあえず直近に見たこれだ。これのどこがいいのか。まず、髪のあたりのディテールがすばらしい。これは生で見て感じられるところ。そして、この子の表情、ポーズ、右手に持ったマスク、すべてが完璧だ。三分割された背景の、プリントやモニタでは潰れてしまう緑色もいいのだ。ともかくこれは可愛らしい。俺は悶え死ぬ。
○『オフィーリア』(ジョン・エヴァレット・ミレイ)……前にも触れたが(内容はろくでもない)、これはたいへんにすばらしかった。こないだBUNKAMURAに来ていたらしいが、俺が見たのはずっと前のテイトギャラリー展でだ。しかし、あの緑色は色あせない。軍曹に「気に入った。家に来て妹をファックしていいぞ」と言われたら、俺は間違いなくこの絵を持ち帰ると思う。
○『ナポレオン、シャンバラ越え之図』(横尾忠則)……横尾忠則は全般的に好きだが、何か一つ持って帰っていいぞと言われたら、ナポレオンのシャンバラ越えを選ぶ。この、向こうの方がきらきらしているあたりがいいじゃないですか。涙が出そうになる。
○『鳥獣花木図屏風』(伊藤若冲)……国立博物館のプライス・コレクション展で見た。これも見ているだけで泣きそうになる。生命が生命を食らわずには生きずにおれぬこの生命矛盾の妖星において、弥陀の誓願は超宇宙的曼荼羅意識によって救われねばならんのだ、という気になる。どんな気かは聞かれても困る。
○『人生は戦いなり(黄金の騎士)』(グスタフ・クリムト)……琳派展で見た。これも、もうモニタやプリントではどうにもならんところがある。ちなみに、この絵に関しては「好き」の対象における「タイトル」の比率が高いと言える。馬趣味、黄金趣味とも合う。
……と、このあたり。見返すと、あまり統一性もなく、通俗的というか、わかりやすいものが好きだ。しかし、たとえば、草間彌生とか大好きなのに入ってこないのはなぜだろうか。やはり芸術家の作品群として捉える場合と、一品として捉える場合では、何か違うものがはたらくのかもしれない。ダーガーとかウォレスとかも、全体が面白いというところがある。また、『オフィーリア』など、モニタでこう見てしまうと、いかにもありきたりな絵画という気になるが、たしかに実物は違ったのだ。見ている人間の足を、単に有名だから、代表作であるから、という理由だけで留めているわけではない、そんな力があったのだ。実に不思議だ。もちろん、実物はなかなかもらえる機会がない。ポストカードやポスターで満足しなければいけない。本物を見た直後にそれらを見ると、色の違いに愕然とするが、しかし、やはりそれでもいくらか本物を想起させてくれる。くれるはずだと、俺は思う。