『ドイツのロケット彗星 Me163実験飛行隊、コクピットの真実』を読む

ドイツのロケット彗星―Me163実験飛行隊、コクピットの真実

ドイツのロケット彗星―Me163実験飛行隊、コクピットの真実

 しばらくしてから、ガラントは本題に入った。
 「貴官は、新型迎撃機の話を何か聞いたことはあるかね?」
 「リピッシュが開発しているロケット・エンジン付きの全翼機のことですか?」
 「そうだ、私は、それを貴官にテストしてもらいたいのだ。これは、やり甲斐のある面白い仕事になるぞ。ただし、口外無用の極秘任務だ」

 『空対空爆撃戦闘隊』に続いてドイツ空軍ものを読む。あちらは邦題があらわしているような空対空戦術やその部隊の記録、という感じではなく、ハインツ・クノーケという若いエース・パイロットがどう戦争を生き抜いたかという自伝であった。一方で、この『ドイツのロケット彗星 Me163実験飛行隊』ときたら、これは文字通りという感じで、想像以上にMe163の実験の話ばかりであったといっていい。だからよくないのか? まったくそんなことはない。
 そう、まったくそんなことはないのだ。なにせ、Me163やMe262は、なにかこう、男の子心をくすぐるものがある。「おまえらこういうの好きだろ?」と言われているような気すらする。だって、この、プロペラ機の時代に、負けそうな側が「ドイツの科学力は世界一!」って言いながら(言ってないけど)作ったロケット戦闘機やジェット戦闘機だぜ。なんだろうな、ロマンなのかね。でもまあ、現実的には開発会社や開発者、軍のいざこざだの、ナチスドイツだろうとなんだろうと人間社会は一枚岩じゃねえなというあらためての感想を抱かざるをえないあたりもあって、まあそういうものなのだろう。
 で、著者はヴォルフガング・シュペーテ。撃墜スコア99機のエースだ。クノーケと同じく、ウィキペディアwikipedia:エース・パイロットには載っていないが。ただ、クノーケと違い、工科大学で航空力学を学び、グライダーの大会などにも出場し、研究所にも所属していたことがある。wikipedia:アドルフ・ガーランドの項目に「ヴェルサイユ条約によってドイツでは空軍の保持ならびに航空機研究・開発が禁止されていたために、青少年にグライダー・スポーツが奨励されていた」とあるので、そういった青少年の一人だったのかもしれない。それで、東部戦線で活躍していたところベルリンに呼ばれ、本機の開発に加われ、ということになる。理論と実戦を知る、まさに適任者、というところだろう。
 で、なんというのだろうか、おれは航空力学どころか力学というか物理というか理科もよくわからないので、本題ともいえるところのロケット戦闘機開発のあれやこれやについては、「ふーん」というところであって、図で解説してくれているマニューバーについてもいまいち想像がつかんというところが本音でもあり。でも、やっぱりあれだ、車輪とサヨナラして離陸してソリで着陸とか、着陸した後どうやって運ぶと早いかとか(牛に牽かせている写真まであった!)、そういうのはまあおもしろいわ。
 あとは、Googleで「Me163」って打つと「溶ける」って補完してくるんだけど、えーとそれについてはどうかというと。

……ブレーデは、次の言葉で事故報告を終えた。
 「防護服を着用していたにもかかわらず、パイロットの右腕は完全に溶けていました。左腕と頭は、柔らかいゼリーの塊のように見えました」

 というような記述があった。この事故の犠牲者は著者の長くからの戦友。遺体の写真も掲載されているが、この件のものかはわからない。ということで、やはり本機は危ない代物で、燃料ばかりではなく、いろいろの事故で犠牲者が出ている。ロシアン・ルーレットだ。とはいえ、名だたるパイロットたちが乗りたがったりしていたという話もある。その一人が、女性パイロットのハンナ・ライチュ。実践型機の組立が終わった頃、「何処からともなく現れ」、操縦席に座って動かないという。著者とはグライダー競技時代からの知り合いというが、著者の彼女に対する言葉は辛辣だ。

実際、パイロットとしての彼女は分析的知性に欠けていて、彼女の提出する飛行試験報告が全く役に立っていないという指摘には充分な根拠があった。その意味で、総統や軍首脳にとって、ルフトバッフェのあらゆる航空機を自由に操縦する許可を貰っていると言われた彼女の存在は私にとって厄介なものだった。

 ただ、一方で、Me163で実際に大事故を起こしたさいも、報告書に「私見ではライチュが負傷したのは、ひとえに彼女の着席姿勢に問題があったからに外ならない」と書き、緊急着陸における「常識的知識すら欠いていた」とまで言いながらも、瀕死の重傷を負いながらもメモを取った姿勢について、その意志の強さは並大抵のものじゃないと評している。おれはライチュについてはなんとなく名前と中身を知っているていどだし、はっきり言ってこの著者の評が正しいのかどうかわからんが(結局彼女を追い払ったあと、ルフトバッフェ各方面から「彼女の奔放なふるまいを黙認せよ」と通達があったらしい)、すげえ実戦派だったりしたのかもしらんし、いずれにせよ生き残った飛行機乗りというのは尋常なないところがあるのかもしれない。

 一方、著者がMe163を乗りに来た(?)人物で二人感心したというのがいて、ひとりはファルダーバウム大尉という、戦前のドイツアクロバット競技会のチャンピオン(ただし、実戦には参加していないらしい)、もうひとりがゴロップ大佐(wikipedia:ゴードン・ゴロプ)。初期訓練を拒否して滑空を数回こなしただけで(グライダー経験のないパイロットにはまずここから叩きこむのがコメートに乗る条件)、実戦機「ベルタ」に燃料を積んで飛んでった。

……着陸態勢に取り掛かった時、高度が通常より少し高かった。私たちが同機の墜落を確信したのは、その直後だった。大佐の「ベルタ」はバンクやスリップの代わりに機首を急激に下げて私たちの視界から消え去ったのである。数秒後、私たちの予想は見事に外れた。再び姿を現した同機は着陸フラップを規定通りに降ろして飛行場のぎりぎりに接地したのだった。着陸後、私の同僚からMe163の高度処理手順を問いただされたゴロップ大佐は言った。
 「あれは、おれの計画通りにやったまでさ」
 この返答に対して私の同僚は辛辣な言葉を浴びせかけた。
 「あんな着陸方法だと、2回目の飛行はきっと失敗に終わりますよ」
 すると、大佐は表情を変えずにこう言い返した。
 「おれが再びMe163で飛ぶことは恐らくあり得ないだろうな」
 この後、ゴロップ大佐は、にやりと笑って乗用車に乗り込み、ベルリンの軍司令部に帰っていったのだった。

 なにかようわからんが、すげえな。
 と、著者も「大佐」ではないが、赤い彗星ではあったのだった。

ハセガワ 1/32 メッサーシュミット Me 163B コメート 第16実験部隊

ハセガワ 1/32 メッサーシュミット Me 163B コメート 第16実験部隊

 このとおり、シュペーテ隊長機は赤く塗装されていたわけだ。が、これはシュペーテがそうしろと命じたわけではない。いよいよ実戦で戦果をあげねば……というところでの話だ。

 正午頃、駐機場に向かった私は、その日の乗機Me163BV41を見るなり呆気にとられてしまった。V41は、目にも鮮やかなトマト色の塗装を施されていたのである。これは、部下たちにしてみれば、私への心を込めたサービスのつもりだったのだろう。
 「リヒトホーヘンが機体を赤く塗るのは、敵を数機撃墜した後だったはずだぞ」と私は責任者のベーナーを叱った。V41の傍らにはシュナイダー曹長が立っていた。
 「スプレー塗料は一体どれだけ使ったんだ?」
 私の問いかけにシュナイダー曹長は悪びれずに答えた。
 「18キログラムくらいです」
 「とすると、その分だけ離陸滑走距離が余計に長くなるわけだな」

 だってさ、おれ、このやりとりなんかすげえ好き。ドイツのロマンとリアリズムの妙な結合というか。まあ、燃料使いきったコメートは単なるグライダー機のいい鴨だし、目立ってもしょうがねえけどさ。
 と、まあ、その後、シュペーテは戦果を挙げられたのかどうかとか、月光の斜銃ならぬコメートからの垂直攻撃兵器の話だとか、あるいはガラントとのやりとり、ゲーリングとのやりとり(ゲーリングパイロットが戦果を課題報告しているんじゃねえかと疑っていて、それに対してパイロットとして「本当はもっと落としてる」みたいに言い返すんだな)、それとそれと著者も最後は乗機としたMe262の話とかまあいろいろ勉強になった。次はなにを読もうか。Me262かね。やっぱり大メジャーであるところのハルトマンかね、ガラントかね。まあいいや。それじゃ。

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