おれのスポーツ観〜ロンドン五輪も終わって〜


 日本のメダル云々、金メダルが取れないのなんのというのはわりと紙一重なもので、これだけ複勝率が高ければいいだろうという感じである。まあ、べつにメダルが多ければおれにとって「いい」のかと問われれば「べつに」なのだけれども。まあ、それでも、どうも競技者自身が銀や銅に悔しさを抱くというのは自然なことに思われるのだが、周りがとやかく一番じゃなきゃ意味ないんですか、というのはどうもわからん。まあ、同時に、金しか狙ってなくて銀や銅が悔しさの証でしかない人間に「それでも立派だ」というのも同じくらいおかしなことだろうし、実際はどっちの言動もあったりなかったりするかもしれないし、まあよくわからない。おれはクーラーの効いた部屋でなんらかの世界の世界最強に強まった人間が一発勝負的なものをしているのを見るのが好きなだけで、そりゃあおれはこの国から一歩も出たことがないし、とくに対戦国の選手のだれかと友達でもなけりゃ日本を応援するだけのことだ。
 まあ、その上で、国別にどれだけの意味があるやしらんが、こういう結果が出ましたよというのを見て、あらためて言うが、こんだけ連対ないし複勝圏突入してりゃ文句ないだろうと。それに、金だってボクシングのミドル級なんてのは単勝万馬券級といったら失礼かもしれないが、なかなか予想されていなかったもんでしょうに。
 柔道で金が獲れないっていっても、まあこれだけ柔道いうものが世界に普及して、「待て」とか「指導」とかいろんな国のやつが言ってて、それだけも面白いといったらなんだけど、まあその中で「日本人に組まれるとやべえ」とか思われるくらい警戒されて存在感見せて、あんだけ複勝圏入ってりゃいいんじゃねえかというか。
 まあ、なんだろうか、やはりおれは観戦者として、あまりにも競馬とかいうものを見すぎたせいで、連対したらオーケーみたいな価値観に毒されすぎているのかもしれない。いや、競馬のせいではあるまい、頭と心中する単で行くのではなく、連複で拾いに行くのがメーンのやり方という、おれの勝負姿勢がそうさせているのだろう。競馬だろうとなんだろうと二着は記憶されないというのはあるかもしれない。しかし、二着から馬複で流して馬券を当てれば払い戻しはあるのだ。単ではなく複の人生。
 しかし、二着に引っかかってくれる馬を探すのに、自分でも納得がいく理由で◎が並んでいるものをチョイスしても面白くない。そいつはでっかい◯だ。トリガミでもいい。どうせ探すなら、その◯相手でもそれなりにつく穴を探したい。おれは臆病なアナーキストだ。はなから連単の馬券は2だろうと3だろうとあまりそそられない。ただ、俺の◎が頭に来たときの決まりのよさという点で、単勝はいくらか抑えておく。
 そんな具合で中穴から無理筋から、有力馬へ、そして人気薄へと手広く流す。人気馬相手ならガミってもいい。なに、夏競馬はベタに買えばいい。競馬会がどの競馬場も一緒くたの似たり寄ったりの個性のない競馬場にしていくのは残念でならないが、それでも洋芝適性なんていうものは残っている。愚直に拾っていくしかない。そうすれば、やがて、無理筋から無理筋への爆弾が炸裂する。おれはそれを待っている。おれの夏はそこにある。そこにはじまり、そこに終わる。秋などは来なくてもかまわない。