- 作者: ルドルフ・ヘス,片岡啓治
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/08/10
- メディア: 文庫
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SS人事部長、SS師団長フォン・ヘルフは、一九四三年五月、アウシュヴィッツ訪問後に記した覚え書で、次のようにいっている。「ヘスは、強制収容所施設の分野の指導的位置に配属された場合、無条件に有能である。彼の独特な強みは実践にある」
(9 私は人事を尽くした 訳注3より)
タイトルに惹かれて来たやつはダンプカーかなにかに轢かれて死ね。くだらんタイトルを書いたおれもそうなるだろう。さて、それはともかくロンドン塔最後の幽閉者でない方のルドルフ・ヘス、ウィキペディア先生(wikipedia:ルドルフ・フェルディナント・ヘスによれば綴りも違うからヘースとかにしとけよとか言われてるアウシュビッツ収容所長の手記を読んだわけである。わりと「ugh...」ってなるような醜悪な代物であって、どのあたりが醜悪かというと、そのすさまじいまでの自己肯定感というか、自信というか、自己美化というか、なんというか。いや、正直、この小見出しにあるみたいな、といったらなんだけど、なにかこう、よく言われているような、「ユダヤ人大量虐殺者がすごい大悪人や狂人でなく、小役人にすぎなかったという近代の衝撃」(とかいうの?)みたいな、なにかこう、ある意味で? 逆の意味で? 意外であって意外でないような、なんか気づいたら所長になっててすげえ大虐殺を指揮してたやつかもしれない、みたいに思ってたんだけど、そうじゃなかった、みたいな。つーか、翻訳者が、訳者まえがきで「一人の平凡な人間」とか言ってるけど、いや、それどうよ? みたいな。それで、ポニョ、こいつ嫌い、みたいな感じ。こういう人間は嫌いだって、そう思ったんだけど、ひょっとしたら、なにかおれはずれたところでひどくヘスを見ているかもしれない。
なんというかこいつ、このヘス、すげえアグレッシヴなんだよ。高校生くらいの年齢で赤十字志願からオスマン帝国軍入りして一時大戦戦って、戦後はドイツでナチスと義勇兵団とかいうのに入って、まるでドストエフスキーの『悪霊』みたいな裏切り者の粛清とかして6年間刑務所に入って、出たあとは右翼系農業開拓団みたいなところに入ってSSにスカウトされて、「また兵隊になれる!」と思ったら「おまえ囚人だったし収容所行けや」ってなって、それでも出世した結果、ナチスドイツにとって不必要な人間を大量に殺して、戦後のどさくさでいったん逃げて農夫のふりしてたけど捕まって裁判にかけられてほかならぬアウシュヴィッツで絞首刑になりました。おしまい、ってさ。
いや、なにが平凡かっていうと、そりゃあなんつーか、これまたひとつの分断や差別みてえな話になるかもしれんから、あんまり主語を大きくしないでいえば、おれとは違うよという。そりゃ、たぶんおれもヘスも口から溶岩を吐き出したり、3mのツノは生えてないし、おんなじ人間だろう。それで、なんというのだろうか、正義感とか、やる気とか、道徳とかいう点では、下手すりゃヘスのほうがあるくらいだよ。まあ、おれが人生の落伍者であって、彼がその時代のその価値観の中では出世していったのは確実だよ。こいつは自分の望みどおり武装SSになってても、たぶん死ぬまで戦ったろうし、そういうやつだよ。
つーかね、そうだね、このヘス氏ね、熱心で頑張るんだよ。そのあたり自信たっぷりに語るあたりについてね、たぶんそりゃもう、本当なんだよ。刑務所の中で模範囚だったとか、懲役を立派にやったとか、そういうのはたぶんマジだし、農業開拓だって農夫やってる間も真剣だったろうし、収容所を支配する方になっても、家庭を顧みずに仕事に打ち込んで、あんまり私利私欲を肥やすみてえなことはしてなかったんじゃねえかとは思うんだよ。ただ、ブラック時代のブラック国家に勤めてて、結果絞首刑。
じゃあ生まれた時代が違えば、たとえばいまの日本だったらどうだとか考えたら、おれはね、たぶんこいつは出世したと思うよ。就職戦線で鉄十字もらえるね。いや、それどころじゃねえよ、たぶん起業とかするだろうし、たとえば大規模な飲食店チェーンを展開して億万長者になるかもしれねえ。「おれにできたんだから、おまえらにもできるはずだ!」。そんな想像すらするね。
いや、そんな想像ばっかりしてて、ヘスが観察する囚人や看守の分類だとか、ナチス内部のこととか、『北欧空戦史』とかでドイツからフィンランドに送られてくる戦闘機のエンジンのシリンダーに砂とかが詰まってる小さなレジスタンスのことが記されていて、ドイツが電撃戦で占領した国でのことみたいに書かれていたけど、あるいはこういう収容所のどこかかもしれねえな、とか、一番の重大事である虐殺行為とか、そんなことについても留守になってた感がある。それで、おれはひとつの言葉を思いついた。
地獄への道は、やる気で舗装されている。
……いや、うまくねえか。おもしろくねえか。けど、なんかこう、そう、おれがおもしろくないと思うこと、「ugh...!」ってなることは、そういうことなんだよ。もちろん、ここは戦場でもねえし、おれは収容所の囚人でもねえよ。クーラーの効いた部屋で冷えた炭酸水飲みながらこんなん書き飛ばしてるよ。殺される局面でもなければ、殺す局面にもない。今のところそうだ。だから、平和ボケしてこんなこと言うのかもしれねえ。でもさ、ジョン・レノンが言ってたのと違うけどよ、想像してごごらん、みんなやる気のない世界をって。忌野清志郎は「ぼくらは下着で笑っちゃう」って歌ってたし、まあ下着なら笑うだろ、みてえな。なんかこう、うまく言えねえけど、やっぱりおれは正義とは? 理想とは? 高潔な人間の魂とは? みてえな、そういう高尚なとこに人間のなんかわかりあえるとはいわねえけど、まあ殺しあわなくてすむような話は、むしろ無いんじゃねえのかって、そう思うんだ。いっつも思ってて、書いてることだ。弱さ、愚かさ、くだらなさ、そんなものの方が……なんかいい筈なんだ。根拠はないね。勘だよ。ともかく、やらんでいいことやるからよくねえんだ。やる気を出すのは明日からでいいんだよ。
でもさー、やる気に怠惰が対抗するんはむずかしいね。悪意には悪意を、それとも、悪魔と戦ってはいけない? あるいは、善意にはなにを? もっと高邁な善をぶつけるか? でも、やる気に対してやらないのが勝つのはむずかしそうだ。やる気がないからな。ほんで、やる気ないっすって非武装中立してたら2秒で蹂躙されていいように使われるか、殺されるだけだ。だからってチャーターアームズ・アンダーカバーを買いに行く気力もないしね。どこで売ってるかも知らないけれど。
なんかこうね、もうちょっと人類、やる気なくならんもんかね。数日前ね、珍しく平日の朝に電車乗ってさ、お盆前後だし、通勤の満員電車のマキシマムってほどじゃないんだろうけど、やっぱりわりとぎゅうぎゅうのとこに乗り合わせてね、もうすっかりうんざりしてしまって、なんなんだろう、これはってさ。それで、もうなんかつかれてしまって。それで、おれはもうそういう電車に乗らない方に流れていって、ニートを経て零細企業の低賃金労働者だよ。行き先は自死か路上か刑務所か、だ。でさ、もし刑務所入ったとき、そこの所長がぼんくらなやつで中が不潔で腐敗しきってて、囚人同士弱肉強食なラーメンが獣臭いのと、このヘスみたいなのが所長でピシっと厳しいのどっちがいいのって、まあどっちも御免被りたいし、やっぱりダンプカーに惹かれるね、おれは。ダンプカーの運転手には悪いけどさ。でも、やるかやられるか、殺されるくらいなら殺す、だれでもいいから殺すって精神状態にあるとき(まあ、おれ用語でいえば宅間守濃度の高いとき、だ)よりは、適当に死にたいって思ってるとき、たとえばいまのほうが、おれはわりとマシな気分だし、それほど害はないんだよ。でも、場合によっちゃなんかやる気でちゃうかもしれねえし、やっぱりおれもヘスも同じ人間かね? まあいいさ、それじゃ、アウフヴィーダーゼーエン。