さよなら、ラヴレンチー〜『ベリヤ 革命の粛清者』を読む〜

ベリヤ―革命の粛清者 (1978年) (ハヤカワ・ノンフィクション)

ベリヤ―革命の粛清者 (1978年) (ハヤカワ・ノンフィクション)

 ラヴレンティ・パーヴロヴィッチ・ベリヤ、スターリン治下のソ連の治安の親玉、数多くの血の粛清の張本人、ソ連共産党首脳部も含む何万人とも知れぬ人びとを亡ぼしたこの死刑執行人は“素性のない人物”と呼ばれるほどの、得体の知れない生涯を送った。
 その死がまた奇怪であった。官報のソ連新聞紙に載った公報記事とは別に、ベリヤの最期について三つの説があり、そのどれもが迫真のものである。

 本書の「プロローグ」の書き出しがこうである。そして、三つの<迫真>のベリヤの最期が紹介されるほか、さらにはフルシチョフが「俺が殺したんだ」とか「ミコヤンが撃った」とか適当なことを言ったり書いたりしている。そして、おそらくは本書の原著が書かれた1972年以降の情報も含まれているであろうWikipediaにはまた別の最期が紹介されてもいる。

 そんな謎多きベリヤの生涯を丹念に追った伝記が本書。著者はタデシュ・ウィトリン(http://pl.wikipedia.org/wiki/Tadeusz_Wittlin)というポーランド生まれの歴史家で、ベリヤの管掌するシベリアの強制収容所に送られた経験の持ち主で、本文中いくつかの記述に関して「ソースは俺が見た、聞いた」というのも出てくる。いずれにせよ、執念の感じられる一冊だ。そして、これははっきり言って異常におもしろい。

※以下、人名表記とか本書に従わず、好きな語感とかでいきます。

わが友、ラヴレンチー


 いきなり物騒な話をする。多くの人間は冒頭の、ベリヤのだいたいの肩書きに嫌な感じを持つだろう。カティンの森事件の首謀者というだけでアウトだろう。だが、おれはもう、チビでブ男でコンプレックスの塊で金持ちとインテリみんなぶち殺せばいいと思ってる……と著者がベリヤを悪し様に書けば書くほど、なにかベリヤに感情移入してしまうところがある。要するに、おれの中の宅間守要素が感応するのである。そして、その善意のひとかけらもないような人間が、革命的警戒心で粛清と隣合わせの権力闘争を駆け上がっていく姿を応援したくなるくらいのものである。まあ、ベリヤに感情移入したところで、現実の自分はなんかどうでもいいような巻き添えかなんかでシベリア送りになる途中に夏服だったから列車で凍死してそこらに投げ捨てられるような人間でしかないけれど。
 むろん、本書はピカレスクノワールなどと呼ぶべきもんじゃないだろう。ただ、もうおれにはそのようにしか読めなくなってしまったと白状するしかない。
 しかし、だ。たとえば急にトビリシからモスクワに出頭するように命じられた、列車内でのベリヤの描写。スターリンになんで呼びつけられたかわからない。

 いまや彼は多分、処刑されるために獄舎に向かっているのであろう。そんな運命に思いを込めながら、彼はひざの上の分厚いブリーフ・ケースに手をやった。時代遅れのこの黒革カバンの中の多くの書類の中に、ベリヤはナガン式拳銃をしのばせていた。グルジア秘密警察の長官として、私服でいるときでも、武器を携帯していることに別に不思議はなかった。いま彼は、もしボスとの会話が急に尋問口調に切り替えられるようなことがあったら、それはもちろん逮捕と処刑の前奏曲に違いないのだから、そうなったら書類を探し出すようなふりをしてカバンから拳銃を取り出し、尋問者を射殺しよう、と決心していた。
 たとえ刑場に送られようとも、少なくともあの汚らしい“スーキン・スィン”(雌犬の息子)を殺してやったことで溜飲は下がるというものだ。そのあとで自分は処刑されることになる。かまうもんか。どのみちズドンと一発がそのすべてを変えるものなら、男の生涯とは一体なんなのか? すべての恐怖も悩みも問題もアッという間に永遠かつ即座に解決してしまう。ベリヤはいつも通りの冷血と平静を取り戻していた。

 こんなん、「死者へのインタビュー」でもしないかぎり、出てきやしない話じゃないか。なにかこう、このあたり、おそらく描く対象に好意を持たないどころじゃなく、憎悪を感じていてもおかしくない作者をして、なにか対象者に乗り移ったかごとき状態にさせているようで興味深い。
 ちなみに、このボスからの呼び出しは、「君をトビリシの要職からはずしてルビヤンカ刑務所本部に移すこと決めた」というものだった。すなわち、秘密警察NKVD長官エジョフ(ベリヤ以上に大粛清の嵐を巻き起こした、これまたチビでインテリと金持ち嫌いのコンプレックスの塊。スターリンもチビだったし、背の低いやつは性根歪んでるから権力者にしちゃいかんね、とチビのおれは思う)の第一次官になれという話。ちなみに、エジョフの粛清リストにベリヤも入っていて、ベリヤの腹心に命令が下っていたけど“ベリヤ・ギャング”の結束は固く、すぐ親分に報告したのでうまく逃げた。……とか、そんな話ばかりだが。
 まあともかく、そう遠くない昔(遠いか?)の虐殺者に感情移入できるかどうか、あんたの中にラヴレンチーはいるのかどうか、そんな話だ。おれの中にはいるに違いない。ただ、ベリヤのようになれるかといえば、なれるはずもない。相当の能力とやる気が必要だ。まったくやる気ってのはよくないものだ。

カフカース

 ベリヤの最期が謎に包まれているといっても、生まれや育ちはきちんとわかっている。イアソンがアルゴー船で金羊毛皮を求めた国、ジョージア……って当人たちが書いてって日本国に要求してるけど、やっぱり感じがでないのでグルジア、だ。そして、同志スターリングルジア人であって、そのあたりが物語のひとつのキーになる。ザカフカース……アゼルバイジャンアルメニアグルジア。このあたりの国々の民族主義とソヴェート連邦との関わり、そのあたり。って、そのあたりがなんなんだよ? というと困るが、本書の半分の舞台はここであり、ベリヤがメンシェヴィキに潜り込んで……というか風見鶏的に振る舞ったり、スターリンの当地での大活躍をでっち上げたり、したのものここ。そして、なにか、まあわからんが、いろいろの気になる人物などもあって、少し書き留めておきたいと思っただけ。グルジア=黒海(相撲)くらいしか今のところ他にしらんが。

歴史修正主義

 ベリヤがスターリンに取り入ったきっかけのようなものは、同志スターリングルジア凱旋演説がまったく盛り上がらなかった(このあたり、聖書でイエスとかいう人がナザレに帰ってみても「故郷はアカン」ってなったのを少し思わせるが)ところで大拍手してみせたのとか、パーティで「グルジアの地にはまだまだ雑草がたくさんはびこっている。われわれが改めてそれに鍬を入れよう。われわれは反対派どもを根絶やしにし、敵の最後の一人まで息の根を止めよう。一人残らず灼熱の鉄で焼き払え!」って言って、まわりのグルジア人が黙ったところで、給仕の分際ながらただ一人「われわれは雑草を根絶やしにしよう!」って追従して大声を上げたりとかもあるんだろうけれども、一番の手柄は『スターリンの初期の著作と活動――ザカフカースにおけるボリシェヴィキ組織の歴史』という歴史改変にある……のではないかと、少なくとも歴史家である著者は見ている。
 過去にさかのぼって歴史を変える。都合のいいように修正する。……「同志ラヴレンチー・パーヴロヴィッチ、これが同志ブハロの開発した革命的時間移動機だ。今すぐ過去に戻って……」というわけにはいかない。ロシアにはБумага всё терпит.ということわざがあるらしいが、まさにそれである。過去においてたいしたやつではなかった、たいしたことしてなかったスターリンを、たいしたことにさせる。まあ、ソヴェートの修正写真なんかも有名だろうが、そのやり口。
 でも、今を生きてるスターリン、同時代人も当然いる。その頃を知っている人間もいる。無知な若者は教育でなんでも注ぎ込める。しかし、そうはいかないやつらがいる。どうする? 修正がダメなら粛清すればいいじゃない。これである。ここんところがベリヤの、というか、スターリンのやり方。ベリヤはスターリンの故郷の古参ボルシェヴィキを粛清して成り上がる。スターリン晩年、だんだん被害妄想、人間不信がひどくなっていった中で、古いつきあいの、親友みたいなのまで粛清されていく。また、ベリヤ自身も自らの過去を知るものを都合よく粛清していく(ついでに個人的復讐もさんざんやる)。
 一度嘘をつくとまた嘘をつく必要がある。嘘の上塗りの連続……なんてことはよく言われることだ。ベリヤだって『スターリンの初期の著作と活動』を、時局によって改訂している。でも、それどころじゃない、その上、人まで殺す。歴史に邪魔だからだ。こいつはおっかない。もちろん、スターリンの過去が修正されたものであると知っているベリヤ当人が、スターリンにとって邪魔になる。スターリンにはやられなかったが、結局、ベリヤ自身がソヴェート連邦の偉大なる歴史から抹消される。『ソヴィエト大百科辞典』のベリヤがどーんと載ってたはずのページは、次の版で「ベーリング海」の説明になってしまったという。皮肉な話だ。

さよなら、ラヴレンチー

 で、結局ベリヤはどこまで上り詰めたのか。スターリン死後(いくらでも暗殺説が出てくるわけだけど、本書ではあえて明言していない)、マレンコフとのツートップになる。が、実質的な権力という点ではベリヤがナンバーワンだった、ということらしい。収容所群島からなる労働力(建築家志望だったので、刑務所の細かな点まで指示したという)を握り、文化・芸術・思想の取り締まり者であり、世界中に広がる最大のスパイ網の頂点に立ち、さらには最新鋭の装備と待遇を与えられた歩兵、騎兵、機械化部隊、砲兵、戦車、空軍の各師団師団からなるNKVD軍150万の将兵の長官であり(最初は独ソ戦で“赤軍兵士は撤退せず”を実行させるための督戦隊として、赤軍正規軍から精鋭部隊を集めさせた。……このあたりはゲーリング師団に例えるべきか武装SSあたりか)、故郷グルジアチェコスロヴァキアを自らの“ベリヤ・ギャング”に支配させて領地のようにし……。
 って、やりすぎてしまったんだな。とくにスターリンの葬儀で大々的にNKVD軍をモスクワで誇示したのがまずかった。ベリヤは自分自身の軍隊を持っている。赤軍のすみずみまで内通者を仕込んでいる。クーデターだってできるじゃないか。これはまずいと、マレンコフ、モロトフ、ミコヤン、ヴォロシーロフ、カガノヴィッチ、ブルガーニン、フルシチョフに思わせてしまった。もちろん、彼らも見張られている。いつ、深夜にドアがノックされるかわからない。ベリヤをやるならやるで、命がけだ。
 と、そのとき東ドイツで大規模なデモが起こり、ベリヤはこれの火消しに回らなければならなかった。隙ができた。……そして、冒頭に戻る。そして、ソ連に平和が訪れたのかどうか。西側に育ったおれにはよくわからないが、たぶんまだまだ冬の時代は続くんだろう。でも、スターリンやあんたが権力の座にいたよりはマシになったんじゃないかとしか思えはしないな。西側で育ったおれにはそう思えるね。さよなら、ラヴレンチー。

>゜))彡>゜))彡

 そういえば、本書を読んでいて一瞬だけ爽やかな(?)気持になれた箇所があって、ポーランドバルト三国があっという間に蹂躙されていくひどい話の中で、小国フィンランドが大ソヴィエトに抵抗したところだ。ちなみに、本書によるとフィンランド侵攻に動員された兵は「ウズベキスタントルクメン、タジク、アゼルバイジャンアルメニア」出身で、「雪など見たこともない地方」の面々だったという。大粛清による赤軍の弱体化に加え、そんな要因もあったのか、などと。