- 作者: 平岩弓枝
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2002/05
- メディア: 文庫
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で、いきなり話が逸れるけど、『アオイシロ』と『平清盛』があって『椿説弓張月』に手を出すと、三角形ができる。二つの点で線ができて、三つめの点で三角形になる。この三角形のそれぞれの頂点からまた別の点に線が引かれ……を繰り返していき、バックミンスター・フラーのドーム構造体みたいになっていく、というのが、自分の中に形づくられる「情報」あるいは「知識」のイメージなんだけれども。
まあいいや、『椿説弓張月』だ。わりと忠実に、そしてコンパクトに訳されているものらし。その結果、どんな感じになったかというと、そのせいで逆にすげえシュールになってんじゃねえか? みてえな。あらすじ的に淡々と文章が進んで行くが、内容がぶっ飛んでて、急展開、超展開で、その落差がようわからん世界になってる、みたいな。
……いや、おれは角書きつきの『椿説弓張月』的な読本も知らんし(石川淳の『新釈雨月物語』読んだくらいか?)、平岩さんの本もたぶん読んだことないけど、そう感じた。まあ、なんというのか、ともかく源為朝が行くところ行くところで敵を倒し女とやって子供を作るけど、どんどん勝手に後腐れなく問題なくなっていって、しまいには魂が入ったのでって。みんなすぐ切腹、自害するし。さすが日本。いや、いいんだけど。それに、やっぱり『平清盛』のおかげもあって、信西入道や崇徳院もイメージできるしな。
それであれだ、なんか伊豆大島の方のさらに向こうの、男と女に別れてべつべつの島に暮らしてるとかいうの、どっか既視感あんなって思ったら、島尾敏雄の夢もののなんかじゃねえかとか思ったりして、それでまた加計呂麻島か、みたいなつながりも連想されるがまあいいや。
そういうわけで、なんかこの、文体と内容の乖離がもたらした妙な具合みたいなもんを感じつつ、また江戸時代の元本の読者が琉球をどうイメージしてたんだろうかとか、日琉同祖論とはとか、たまに出てきて助けてくれる崇徳院といえば、中の人が映画で三島由紀夫やってて(若松監督の快復を願います)、三島由紀夫も歌舞伎用に『椿説弓張月』書いたらしいが、それはどうだろうかとか。いろいろと気になりつつも、まあおしまい。