ピエール・カルダンで切腹を(してない)

 また若松孝二の『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』の話なんだけど、やっぱり切腹シーンが印象に残るわけじゃん。ピエール・カルダンの制服を脱ぐと上半身は裸。それで、腹が出てくるんだけど、さらにズボンもずり下げて褌が出てくるわけ。それ見ながら「ああ、武士の腹切りの腹というのはわりと下のなんだな」なんて思ったわけ。だって、たぶん、そのあたりはすげえ知識もあるだろうし、実演写真残ってるくらいだし。でもなんだろうね、洋服というものできちんと切るべきところを切ろうとすると、ズボンはずり下げなきゃいけないってね。古来からの作法では想定外のことなんだろうね。でも、敗戦後にいくらか切腹した帝国軍人もいたと思うけれど、彼らも軍服だったろうかね。

 切腹+拳銃という例もあるし、腹を拳銃で撃った軍人もいたような気がする(というか、ダーンっとやった水木しげるの絵が思い浮かぶが)。乃木大将は最後は首を一突きしている。介錯なしに死ぬのはそうとうの苦しみというが、いずれにせよ自分で死ぬのはえらい話である。

 三島の詳しい話は検索すると出てきて、介錯人がいるのに一文字に切っているところがすごいという。

 ちなみに、その下にあった乃木希典の自決だが、十字のあとに「次いでズボンの釦を丁寧にかけたのち」とあって、これがそうであるならば、やはりズボンはずり下げてから動作に入っていたのだろうか。

 切腹が作法と無縁ではないというあたりはあるだろうし、赤穂浪士にしろ新選組にしろ、「おい、どうやって腹切るんだ」みたいな剛気で切ないシーンなどはよく描かれる。切腹の起源は例の鎮西八郎というが、まああまり作法と関係なさそうな感じかもしれんし、単発だろう。ウィキペディアで知った知識によれば、立花宗茂あたりからか。
 話は逸れるが、大河ドラマ平清盛』はいよいよ面白くなってきたといえる。正直、6月3日分の放送でそれぞれの処断実行まで行けばよかったんじゃないかとも思えるが、裏で日本代表戦などというところで、見せ場を持ち越したのか、というのは邪推にもすぎるか。いずれにせよ、切腹以前のこと、である。
 と、ところで、このタイトルだけれども、つらつら検索していて(してない)をつけなきゃいけないことを知った。おれは楯の会の制服をピエール・カルダンのデザインと信じ込んでいたからだ。wikipedia:楯の会を読んで、あれ? と思ったのだ。

1968年(昭和43年)4月上旬、堤清二の厚意により、五十嵐九十九(ドコールの制服もデザインしたという)がデザインした制服(徽章は三島自身のデザインに基づく)

 どうも、ピエール・カルダン(に師事したデザイナーの)デザインらしい。

 また、『11.25』のパンフレットでおれは知ったのだけれども、『MISHIMA』という米国の映画(あまりに観念的というが、たとえばソクーロフの『太陽』みたいなのかしらん)では以下のような台詞が出てくるという。

映画ではこの軍服のことを人に聞かれた三島が
「ドゴールの仕立て屋に作らせましてね」
と答えており、これはピエール・カルダンであるかのように思わせ、
世間は今でも「カルダンデザイン」と認識しているようですが、
実際はカルダンに師事していた日本人デザイナーのことなのだそうです。

 ふーむ、まあおれはピエール・カルダンよりもダイコウガルダンとかの方に聞き覚えのある人間なので、だからなんだというところでもあるのだけれども。まあただ、なんというのか、切腹みたいな儀式的に自殺することというところから、死生観やら身体論、衣裳論などいろいろと広がるところがあって、まあおれは無学なので「あるだろうな」くらいの話であって、さらに突き詰めて知ろうというところは今のところないわけで、せいぜいてめえの腹を触りながら、鍛えてない人間の腹の方が突き立てやすいのだろうかとか、妙な想像をするのが関の山というところ。
 まあ、そういうわけで、「ピエール・カルダン切腹をしていない」、と、今日はこれ一つ覚えて帰ってください。覚えなくてもいいですし、まあどうでもいいです。おしまい。