悔しかったから宣伝してやる! 映画『止められるか、俺たちを』@シネマ・ジャック&ベティ 舞台挨拶回

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映画館で映画を観るのは7月の『菊とギロチン』以来だ。『菊とギロチン』はおれが好きで、おれがあるていど知っているアナーキストたちの話だった。だから行った。そして、今日おれが観に行ったのは『止められるか、俺たちを』だ。『菊とギロチン』で村木源次郎を演じた井浦新若松孝二を演る(他にも大西信満や渋川清彦が出てた)。いや、その言い方は少し変だ。若松孝二監督『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』で三島由紀夫を演じた、あるいは『海燕ホテル・ブルー』の井浦新若松孝二を演じる。

……と、この映画の存在を知ったのはごく最近のことである。「そんなのあるのか」と知って、「この映画ならジャック&ベティで上演されないか」と思って調べたら、公開初日、舞台挨拶回があるという。三日前くらいに知った。行ってみるか、と。でも、不安もあった。このところおれは体調がよくなく、寝てしまうのではないか、腹が痛くならないか、など。

というわけで、「絶対に行くぞ!」というほどでもなく、図書館に本を返す途中でジャック&ベティに寄る、舞台挨拶回を買えたら買う、買えなかったら諦める、そんな気持ちでアパートを出た。午前中には起きたのだが、シオランの感想文などブログに書いていたら遅くなった。会社まで自転車で、そして徒歩でジャック&ベティへ。

ジャック&ベティに着いたのは一時を少し回ったころだったろうか。「16:30の『止められるか、俺たちを』ありますか?」。「ありますけれど、整理番号で最後の方になりますが、よろしいですか?」、「いいです」。と、おれが金を払っているカウンターの後ろで、電話応対の支配人(かな?)が通り過ぎる。「……残りはあと3席で、あとは補助席になります……」というようなことを言っていたように思う。今、おれの整理番号を見たら112番。公式サイトで「ベティ」の席数を見たら115席。本当に、ギリギリだった。

そのあと、大岡川沿いに歩いて日の出町、野毛の中央図書館。本を借りて併設されている喫茶店「ふれあいショップのげやま」へ。五目チャーハンとアイスコーヒー。東スポの競馬欄を広げて三場のメーン購入(新潟の単勝とワイドだけ的中していた)。しばらく借りたばかりの本を読む。かなり時間を潰して映画館へ。16時少しすぎに到着。歩道にお客さんの姿がそこそこ。「81番以降の方は下でお待ち下さい」の看板。少し待って、上へ誘導される。さすがに最後から4番目の客、空席を探すのにも一苦労。だが、座れた。そして、椅子が新しくなってることをいまさら知る。久々なのだ、ジャック&ベティ。

『止められるか、俺たちを』感想

ようやく映画の感想を書く。いつものことだが、前置きが長い。だけど、映画にしろライブにしろ、その日のことを書き留めておくのは悪いことじゃないように思う。作品というものがただそれだけで存在することはなく、それを受けるおれというものがあって、その関係のなかでおれにとっての『止められるか、俺たちを』が出てくる。違うだろうか。

また、話が逸れた。本作は1969年から始まる。主役は、若松プロで助監督をつとめることになる吉積めぐみ。演じるのは門脇麦。……おれは門脇舞なら知っているが、門脇麦さんを知らなかった。が、とてもよい俳優だと思った。それはともかく、吉積めぐみについては復習&予習してしまっていた。そう、『菊とギロチン』と同じく、おれは若松孝二足立正生若松プロとその周辺について、少しばかり知るところがある。だから、おれにとって映画の中の時間経過、その西暦が表すところがひとつのカウントダウンに感じられてしまったというのは書いておくべきであろう。

して、本作で描かれる若松プロ。パンフレット(と呼ぶには内容が充実しすぎている一つの書籍)では、「新選組」や「梁山泊」と表現されているが、まさにそんなところだったのだろう。近藤勇若松孝二で、土方歳三足立正生。そんな恐ろしいところに迷い込んでしまった一人の女性、吉積めぐみ。その視点から描かれている。

とはいえ、やはりど真ん中の重要人物といえば若松孝二ということになる。それを演じる井浦新ということになる。これはもう、こうするしかなかったんじゃないか、というほど、ある種のモノマネ感で演っている。そう思った。松村邦洋が「ダンカン、この野郎!」というのに、近いといえば近いかもしれない。井浦新本人は「最大の愛情で、最高のギャグを」(パンフレット)と表現している。そして、それは奏功しているように思える。おれが若松孝二監督を直接見たのは、おそらくここジャック&ベティの舞台挨拶の一回だけだし、映像で見たのもDVDの映像特典のインタビューや対談数点だ。だから、「これが若松孝二らしい仕草」というのはわからぬ。わからぬが、ちょっと甲高い声で井浦新が演じるそれは、「おそらくそうだったのだろうな」と思わせてくれるそれである。井浦がやらなきゃ誰がやる、というところで、やるしかないとなったところから、故人が乗り移ったようにそれをやってみせたのは見事というほかない。ちなみに、おれの中で「この人が出ているならばこの映画の見る価値が上がる」という役者さんが何人かいるが、井浦新はもちろんそのリストの最上位にいる。

そして、足立正生はどうか。おれの大好きな『幽閉者』の足立正生は。これは山本浩司という役者が演じている。足立正生監督作品の『断食芸人』の主役である。というか、足立正生まだまだ健在。そうだ、若松孝二は不幸にも交通事故死したが、足立正生はバリバリだ。というか、本作に登場する若松プロの「レジェンド」たちの多くは健在であって、健在どころかパンフレットで本作をけちょんけちょんにしている始末である。それでもしかし、足立正生、思想的で、小難しくわけわからん脚本を書きながら、一方で地に足の着いた度量のある人間を、やはり映画の中でしっかりと再現しているように感じた。

そして、オバケ(秋山道男)役がよかったな。主人公のめぐみとの二度の別れのシーンとか印象的だった。しかしなんだね、今、Wikipediaを見てみたら、今年の9月19日に亡くなってるじゃないか。

秋山道男 - Wikipedia

パンフレットにも間に合っていない。いやはや。ともかく、万引き王であり、魅力ありすぎるポスターを描き、それでも何をやるべきか定まっていない若さというものが伝わってきた。

というか、何をやるべきか、どんな映画をやるべきなのか、それが定まっていないのは主人公の吉積めぐみということになる。若松孝二をはじめとした、異才、天才のなかに混じって、自分のビジョンが定まらない、それでもなにか表現しなくちゃならない、その苦しさ。そこにおれは共感してしまう。おれは表現者というものを意識的に志したことはないが、なにか表現というものをするべきではなかったか、そういう世界にいるべきではなかったかと、ときどき思うことがある。おれにはついにそのときは訪れなかった。めぐみはどうだろうか。苦しみながら、連れ込み宿用の30分ポルノの脚本を書き、監督をした。そこに「完」の文字を刻みつけた。それだけですごいことじゃないか。でも、それじゃあ、それだけじゃ何かが足りない、足りなかった。若松孝二の認めるところにたどり着かなかった。その苦悶いうもんがある。なにかを表現しなくちゃならない。その衝動がある。でも、具体的な形が見えない。だれもが、とは言えないだろうが、少なからぬ人にそういう思いがあるように思う。そして、多くの人は、不完全なそれに「完」の字を打つどころか、書き始めの一文字の前に敗れ去る。そこをやすやすと飛び越えてみせるのが、たとえば若松孝二だったり、足立正生だったり、大和屋竺だったりするのかもしれない。彼らに苦悩がなかったわけではないにせよ。

というわけで、前半は若松プロとその時代、後半は吉積めぐみが中心になる。結末は、調べればわかるだろうが、知らなくてもいいだろう。というか、若松プロ作品を知らなくても楽しめる映画だろう。だって、監督が白石和彌だぜ。……って、白石和彌が後期若松プロ出身だって、初めて知ったのだけれど。というか、そういうおれも『凶悪』と『日本で一番悪い奴ら』しか観ていないのだけれど、それだけでもう十分これがいい映画になるって決まったようなもんじゃないか、さあ、今すぐ最寄りの映画館のスケジュールをチェックするんだ、そして予約をするんだ。

 

舞台挨拶

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と、おれが宣伝するのは、舞台挨拶で脚本の井上淳一が「こういう場では普通撮影厳禁ですが、今回は撮影可です。もちろん、そのぶん宣伝してください」と言ったからである。おれはあいにくかなり後方の席で、ズームにして荒れ荒れだが、白石和彌監督。劇中で「テレビの中の三島由紀夫」を演じていたという。そして、その三島は井浦新の三島の完コピであるという。井浦新若松孝二を演じさせる以上、自分もやらにゃ、ということだ。

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集合写真。豪華。挨拶の流れとして、一人ずつ挨拶、そしてお客さんからの質問コーナー。が、なかなか手が挙がらない。ようやく一つ質問、そしてまた一つ。一つ目は、この映画の構想時期などについて、そして、もう一つは「もう一度この映画を観たいが、今度はここに注目してほしいというところはどこか?」というもの。うまいこと質問するもんだな、と思う。その回答はいろいろ個性的だったが、二つ目の質問について井浦新が「若松さんと足立さんがパレスチナに行って不在のときの、若い人たちの屋上での飲みのシーン」と答えていて、自分が役者として若松作品に参加したとき、ふと監督がいないときに、他の演者と「あれは理不尽だよな」と言い合ったりするときのようだと答えていた。ほかには、鉢巻の位置とか、足立正生本人がカメオ出演しているときやりにくかったこととか。というか、たぶん出ているだろうなと思って、エンドロール見ていたら名前があったけれど、どこかはわからなかった。

で、正直、おれはなにも頭に浮かばなかった。あとから思うに訊いてみたいことが見つかった。

「若松監督、足立監督を演じられるうえで、両人が主人公のめぐみさんについてどういう感情を抱いているとお考えになっていましたか?」

これである。めぐみは足立正生に対しては、わりとグイグイいくシーンがある。若松監督からはけっこう厳しく扱われている。そのあたりだ。でも、質疑の時間は終わってしまっていた。

足立正生の本から引用でもしよう。

ヨーコはビートルズメンバーと一緒に日本監督映画特集を見に来てくれた。私たちは本当にファンでもあったし、助監督のめぐみちゃんへのお土産を作ろうと思って、「キャアーッ、ビートルズだーッ! サインしてーッ!」と叫んで走りよりサインをせがむパフォーマンスを上手にやったつもりだった。ヨーコは「足立さん、古すぎるよ」と言うし、ジョンは日本公演で覚えたのかヨーコに習ったのか「コンニチハ、バカ野郎!」と言いながら全員のサインの寄せ書きを作ってくれた。

『映画/革命』

映画/革命

その寄せ書きがめぐみちゃんの手に渡ったのかはわからない。

ほかにも書きたいことはいろいろあったが、ここいらへんで。たとえば、冒頭のシンボルマークが出ただけでテンションが上がるとか、鉛筆削りのシーンだとか、『女学生ゲリラ』のポスターの話だとか、曽我部恵一の劇伴でノイズがすごいやつは『幽閉者』の大友良英へのオマージュなのか、など、まあいろいろ。

でも、とにかくなんかいい映画だぜ。そして、なにか見ていて悔しくなる映画なのだぜ。表現者というものになれなかったものの悲哀がそこにはあって、それに乗れる人は乗れる映画なのだぜ。ああもう、悔しい。なにか衝き動かされるところがあって、やっぱり自分にはなにもなくて、それでも震えがとまらない、そんな映画なんだ。わかってくれるだろうか?


曽我部恵一 - なんだっけ?【Official Video】

……ちなみにこれは演者の一人いわく「スピンオフ」(だったかな?)ということ。たしかに、映画を観る前にこれを視聴したが、「映画のシーンを取り入れて作ったのかな?」と思ったが、違った。正しくは後日譚だ。とはいえ、先にこれを観て、映画を観て、またこれを観ればいいのである。

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……まあ、掘ればもっと若松プロ周辺作品の感想とか転がってるだろう。