シンカーを投げる犬

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ここのところ記憶がよく消えているような気がする。

いつどこでなにをしたのか? 短い記憶から、長い記憶まで。

短い記憶、たとえば、電気ストーブのスイッチを切ったかどうか気になるというのは、精神の脅迫状と片付けてしまえばいい。おれの抑うつの度合いは、朝ドアを何回開け閉めして出かけるかで測れる。今は最悪だ。

問題はもう少し長めの記憶だ。5年前何をしていたのか。3年、2年、1年。代わり映えのしない日々を送ってきた。転機もなければ積み重ねもなかった。そしておれは、あらゆるよくわからないことがらに関して「2年くらい前から」と言うようになった。来年になっても、再来年になっても言うだろう。おれに来年があり、再来年があったらの話だが。

それより昔、もっと昔、10年、15年となると、さらに混濁してくる。いや、混濁もなにもそのころはなにもしていない、ニートのひきこもりだったのだから、やはりエピソードらしいエピソードもない。親の金で遊んだ大井競馬の帰り、湘南モノレールの車中で見知らぬ中年から「今日の競馬はどうでしたか?」と聞かれた、そんなことは覚えている。そのくらいしかない。その日は最終の三連複を獲ったので、そのことを話した。

話は変わる。2年くらい前か、もうちょっと前か。京浜東北線の中で酔っ払ってシートに寝ているじいさんの横に座っていたら、急に「宝塚記念はなにを買うんだ?」と聞かれたので「ヒシミラクル」と答えてやった。あのじいさんはおれの助言を聞いてくれただろうか?

シンカーを投げる犬。悪いがおれの人生にシンカーを投げる犬はいなかったように思う。ツーシームを投げる猫もしらない。キリンの角は地球外生命体が握るようにできているらしい。いつごろ地球外生命体が地球にいたのかしらないが。そもそも、地球にいる時点で地球外生命体とは呼べないのかもしれない。宇宙のどこかから来たやつを地球人と言えるだろうか。関係ないがおれはパンスペルミア説を支持している。

Bundy Beats Date with Chair。テッド・バンディが椅子とデートしたのは1989年1月24日だった。おれはその日なにをしていたのだろう。おそらくは10歳くらいだったろう。ひょっとしたら愛犬のシンカーを打つのにやっきになっていたのかもしれない。おれは犬を飼ったことがないのだけれど、記憶というものはあてにならない。2年くらい前から、最近のことも、遠い昔のことも、まだらのようにしか覚えられなくなった。もっと前なら、2週間前の土曜日の準メーンレースの勝ち馬の名前くらいスラスラ言えたものだ。それは嘘だろう。

ハタノヴァンクールのいない東京大賞典。おれはあえてそう言おう。ニホンピロアワーズの臨戦過程のフレッシュさを買いたいが、鉄砂を走るものがそんな軟弱なことでいいのだろうか。そういう意味ではホッコータルマエが堂々と勝ち名乗りを挙げるべきかもしれない。が、いずれにしても興味は薄い。なにかの間違いでプレティオラスが3着に突っ込んでくるくらいしか楽しみのないレース。なにかの間違いのようにしか思えないが、現実はこのようなものだ。犬はシンカーを投げない。おれは覚えることを放棄している。テッド・バンディは椅子とデートに出かけて帰ってこない。本当のことだ。