酒のない人生に意味なんてあるのか?

 「最近どうよ?」
 「ジプレキサですけど、飲んだ初日に……」
 「いやいや、全体的に」
 「……うーん、年度末なんでむちゃくちゃ忙しくて、ストレスみたいなのも溜まるじゃないですか。それで、ここ一ヶ月くらいちょっと飲酒の習慣ついちゃって」
 「え」
 ……というわけで「おまえの飲んでる薬、ぜんぶアルコール禁忌だろうが」とお叱りを受けてまいりました。ジプレキサの効果もわかんねーだろが、と。「いや、自分の家に帰ってから飲むんで、眠くなるだけかと思って」とか言ったら、「マイスリーは超短期型だから、眠りに就いたあと脳が寝ていいのか、起きていいのか混乱を招いて、夢遊病みたいなことになったり、凶行に及んだりする事例がある」みたいなこと言われた。ふーん、そういうものか。
 まあ、「飲酒厳禁」って言われるのはわかっちゃいたんだし、確認みたいなものだけれども。それで、「言われたからやめるか」といって、おれは酒を飲むのをやめるわけだけれども。
 ただ、おれがなぜわかっちゃいるけど(実際にクスリとのリスクについちゃわかっちゃいなかたわけだけど)やめられなかったか、ということを考えねばならない。
 おれが求めていたのは忘却だった。忙しさによるストレス、と単純に言うが、一個一個の具体的な事案の、できるのか、やってくれるのか、間に合うのか、あるいは、対処は間違っていなかったか、あれでよかったのか、という不安の群れで構成されている。
 おれはもとより、日常的に止まらない動悸、不安感を受け続けている。漠然とした恐怖の中で何かをすり減らされつづけ、まったくスポイルされてしまったような人間だ。ただでさえそうなのに、多量のストレス群が脳の中の不安発生回転体をいっそう回す。
 アルコールというのは、一時的にそいつらをまとめて始末してくれる。こんなに効くクスリなんてねえだろ。大麻とか覚せい剤とかは知らないが、おれにはアルコールで十分だ。
 けど、おれは合法的なクスリのために酒を犠牲にしようとしている。酒を犠牲にしてまで、いったいおれはどうなりたいのか。クスリがよく効いた状態か。じゃあ、クスリがよく効いた状態が常態化したところで、いったい、なにがどうなるっていうんだ。
 客観的におれが歩んできた人生を振り返れ。高卒で、ただその日の飯を食うためだけに働き、かといってその内容も雑多でその場しのぎで、これといったスキルもない。仮令クスリの助力で人様並の精神状態をたもてたとしても、この経済情況下で新たに職を求めたところでどこにも雇われないだろう。雇われたところで所詮はドーピングのキチガイ、すぐに放りだされるだろう。もちろん、一人で食うスキルもない。要するに、先行きなんかありゃしない。
 先に「漠然とした恐怖」と書いたが、具体的に書けてしまったか。つまりは、クスリでどうにかしたところでどうにもならない情況というものがあって、今、一時的に仕事の忙しさ(忙しいだけで金になるわけでもない、ギリギリのラインだ)がひととき増そうが増すまいがたいしてかわりゃあしないんだ。自死か路上か刑務所か。
 畢竟そうなるのだったら、なんでおれが酒を飲まない理由があるのだろうか。なんで向精神薬に酒みたいなすばらしいものがないのだろうか。おれにはよくわからない。人間を苦しみから解放してくれるたいへんすばらしい、酒のようなものを。
 しかし、ここまで書いておいて、おれはすっかり酒を飲む気を無くしている。底をつきそうになっているが、まだちょっぴり残ってる。残ってるけど、もう、おれには関係ないものだと思えて、部屋に転がっていても気にならない。不思議な話だ。ただ、ちょっぴり酒が飲みたいと思う。いや、ちょっぴりじゃない。アパートに帰る道中、酒、酒、酒がある、酒で忘れたいと、頭は酒でいっぱいだ。不思議な話だ。けど、飲まない。まだ、なにかあると思っているのか? さて。