双極性障害者、最悪の一ヶ月。そして、ジプレキサ、再び。

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一ヶ月前、月に一度の通院。調子がよくないので、なにかアガる薬はないかと言ったら、ジプレキサセロクエルに代えてみますか、ということになった。目先を変えるということだ。

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それで、セロクエルに変わったのだが、そのあとストンと、いや、ズドンと落ちた。

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まったく身体に力が入らない。倦怠感の三文字で表すには、重すぎる。歩いてはパーキンソン病だった晩年の祖父のようだったし、自転車を漕いでも歩行者に抜かれるくらいしかスピードが出ない。はっきり言って、精神疾患になってからというより、生まれてから最大級に身体の調子が悪かったと言える。調子と呼べるようなもんじゃなかった。ともかく、動かないのだ。「本当に鬱のどん底のときは、自殺する元気すらない」と言われるが、その意味がわかったと言ってしまえるほどだった。

そして、躁転した。

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躁転したが、その後もひどいものだった。一応毎日のようにTwitterには記録したが、焦燥感、動悸、そして何よりも歯の食いしばりが止まらなくなった。たかが歯の食いしばりというなかれ、顎は疲れる、肩は凝る、おまけにかどうか、頭も少し痛いくらいだ。それはともかく、なんといったらいいのか、適切な医学用語ではなく、ここではおれの造語ということになるのだろうが、「脳圧が高い」感じがずっとしていた。目玉、飛び出して、という感じ。けれどなにか高速回転しているけど、ギアが入っていない感じ。これが続いた。

双極性障害。おれに下されている診断名だが、今年の九月はその双極をかなり味わった。もとより入院が必要になるようなI型ではないのだが、II型でもここまで落ち、ここまで変な上がり方をするのか、という印象だ。ひょっとすると、身体的には一生で一番苦しかったかもしれない。

……というようなことを、今日、かいつまんで医者に話した。おれの今日の目的は「セロクエルジプレキサに戻す」、「ベンゾジアゼピン抗不安薬を増量してもらう」の二点である。

で、医者いわく、「落ちたのはセロクエルの量が少なかったせいだろう」。

これには驚いた。ジプレキサ脳からセロクエル脳への移行の間に空白が生まれる(=病気に直面する)ことは想像していた。上の日記にも書いたとおりだ。が、その後の躁転、できない平常運転はセロクエルが効きすぎているのではなく、効いていないのだと。効きすぎ、あるいは合っていない、は想定していたが、少なすぎたとは思いもしなかった。

医者はあっさりとジプレキサへの再変更を認めた。歯の食いしばりもジプレキサに戻せば治るんじゃないかな、ということだった(気休めかもしれないが)。そして、口元に手を当てて「ジプレキサのほうが効くってことは、考えていたより重症」と小声で言った。むろん、処方量による話ではあるだろうが、この医者の見立てでは、そういうことらしい。まあ、処方量を決めたのもこの医者なのだが。

そして、抗不安剤の増量希望もすんなり通った。また、セロクエル脳からジプレキサ脳への移行で落ちることがあるかもしれないから、とりあえずジプレキサを二倍飲むように言われた(もちろん二倍にしたところで最大処方量には至らない)。

あと、鉛様麻痺のように身体が動かないときは、クリニックに電話をしろとのことだった。抑うつに効く注射や特効薬などないだろうから、医者に行くという発想もなかったし、とりあえず電話で相談してみるということなど思いもしなかった。セロクエルに変えて「とりあえず何が何でも一ヶ月我慢、様子見」というのは賢い選択ではなかったようだ。

かくして、おれはまたジプレキサを飲むことになった。それにしてもまあ、「セロクエルの量が足りなかった」と診断されたことはショックではあった。自分では「薬による暴走」と考えていたものが、「素の自分の情況」に近いものだ、ということがわかったからだ。無論、今のところ双極性障害に完治の薬はなく、脳を調整して保っていくことしかないというのはわかっている。が、薬なしの自分がここまで酷いというのは、考えもしなかった。ここまで酷いのか、と。先々月までの自分も、ジプレキサを飲んでいなければ、あんな風に落ち、こんな風に暴走していたかもしれないのだ。はっきり言って、九月の状態が続くようであれば、おれの生活というものは全く成り立たない、そういうレベルだった。労働どころか、ただ部屋で暮らすだけでのこともできない、そういうレベル。おかげで、いま、おれの部屋はいつも以上に荒れている。

……などと、まだ歯を食いしばりながら書いている。今夜はジプレキサを二倍飲んで、ほかの薬も飲んで、寝る。明日以降、また薬の過渡期で落ちたりするかもしれないが、それは仕方ない。問題はその後だ。その後、またある程度の安定を取り戻せるかどうか、歯の食いしばり癖はなくなるかどうか、それが問題なのだ。多少、沈み気味でもいい。まだ船を走らせることができるならマシというものだ。これでまた沈没なり爆発なりするようであれば、もうおしまいだ。頼むから効いてくれよジプレキサ。そう祈るのみである。といったところで、船の走る先もまったく見通しが立たず、大きな滝壺にでも飲まれる運命にはあるのだが。