今日も横浜にミサイルの雨が降る

 われわれ横浜市民が観測した一発目の着弾地点は、横浜スタジアムのセカンド・ベースだった。幸いにも横浜DeNAベイスターズ梶谷選手はセカンドを不在にしていたので難を逃れた。試合は9対2で広島が勝った。
 二発目の着弾地点は、またも横浜スタジアムだった。ラミレス外野手は果敢にもミサイルを迎撃せんと立ち向かったが失敗に終わった。試合は5対1で広島が勝った。
 われわれ横浜市民はミサイルを怖れないことを示すよいエピソードと言える。や、どこの国か知らないが、横浜を焼け野原にしても意味はない。その上、われわれには幾つもの無慈悲な兵器を備えている。無慈悲な横浜市の市長がいつその決断を下しても、瞬時に敵国は死ぬ。われわれの誇るクモ型多脚砲台、変形型巨大ランドマークタワー、宇宙戦艦日本丸、みなとの見える丘公園の日よけ型カチューシャ……。しかし、これらが真の兵器であると思ってはならぬ。無慈悲の慈悲がわれわれの最大の武器である。
 つまりは、われわれ横浜市民は不屈の精神によって戦争に負けることなどない。まだ起こっていない戦争にも、起きている戦争にも、起こりうる戦争にも負けることなどない。横浜はつねにはじまっている。ツイートの爆撃にも動じることなどない。住む者すべてがすばらしい機動性を誇るノマド・ワーカーであり、そのほとんどが輝けるネオヒルズ族でありヤバイ。ナウいスポットは新山下のホームズでオーケー。これをわからない精神に語りうる言葉をわれわれは持たない。われわれは不撓不屈ゆえに不敗であり、不敗ゆえに不戦である。金剛石の不敗精神を以てこれを平和という。
 われわれ横浜市民の起源は定かではない。最初に外部からわれわれを観測したのはペリーであったが、そのころすでに横浜市民は横浜市民であったという。そのころの横浜市民は全員が全裸で、身体中に鯨油を塗りたくり、ペニス・ケースの大きさでその階級を表していた。ペリーは本国にそういった内容のEメールを送った。しかし、同時に驚くべき報告もした。老若男女、あらゆるペニス・ケースの大きさは同じであったというのだ。そのことを横浜市民に尋ねると、「われわれは四海万人平等を旨としている。しかし、この世に階級や階層というものは生まれざるをえないものかもしれない。しかし、だからこそあえてペニス・ケースをするのだ」と。そしてペリーにも「提督にはその権力と権威が必要であることは理解している。しかし、一水夫と平等であることを同時に顕さねばならぬ。ゆえに、このペニス・ケースをつけるがよい」と勧めてきたという。帰国した全裸のペリーによって、その絶対矛盾的自己同一の精神がアメリカ社会を揺るがしたのはいうまでもない。ペリーは全裸罪で幽閉され、68歳で死んだ。
 やがて幕府の置かれた文明都市鎌倉から鎌倉シャツが伝わると、横浜市民は服を着るようになった。都筑も区になった。かといって横浜の美風が失われたわけではない。私は鎌倉出身で、横浜に来ていまだ古風を守る全裸の人が道端でシュウマイなど食べる姿には違和感を覚えたものだが、今ではすっかり特別な存在です。