今の若い人たちは知らないだろうが、昔、地球は冷戦だった。東と西に分かれて、日々核ミサイルが空を飛び交い、迎撃用の核爆弾膜でそれを防いでいた。防ぎあっていた。降り注ぐ核ミサイルの塵は、小麦の価格を下落させ、ビニールハウス栽培のトマトの値段を上昇させた。
そんなとき、大英帝国に現れたのが鉄の女だった。鉄の女は人間なみの頭脳を持ち、鉄くらい固かった。歩くと人より少し遅いが、空を飛べばデ・ハビランド・モスキートよりちょっと遅いくらいの速度が出た。鉄の女は鉄の拳でベルリンの壁に穴を開けては、東ベルリンに厭戦ビラを撒いた。鉄の女はルビヤンカにも無慈悲な大穴を開け、たくさんの政治犯を解き放った。ただ、鉄の女は一人でしか飛べないので、そのあと政治犯たちがどうなったかは知らない。
ただ、鉄の女は鉄くらい固かったけれど、錆びやすいのが問題だった。鉄というのはライトでポップな時代にそぐわないという意見もあった。デ・ハビランド・モスキートのように木製にするべきだという意見や、アルミやステンレスがいいという話にもなった。いっそのこと、ブロンズやシルバー、ゴールドにしてはどうか、という話も出た。大英帝国議会は幾度もの会議を重ねたが、結論は出なかった。ただ、時代ばかりが過ぎていった。その間も、鉄の女はソヴェートを、東ドイツを、中華人民共和国に鉄拳を食らわせつづけた。ときには権力者に、ときには無辜の民に。鉄の女は東側を畏れさせた。
めったにインタビューを受けない鉄の女が、ただの一度だけBBCのインタビューに応じたことがある。場所はキューバ、ピッグス湾事件直後の浜辺だった。のちにアメリカとソ連とキューバの三重スパイであることが判明したBBCの特派員がマイクを向ける。
――あなたは鉄の女ですか?
「オーキードーキー。私は鉄の女です」
――あなたは東西冷戦の終結についてどのような見通しを持っていますか?
「オーキードーキー。私は鉄の女であり、鉄の女であり続けるだろう。私の身体が錆だらけになっても、私は私の敵に鉄拳を食らわせ続けるのだろう」
――今季の、カープの戦いぶりをどう思いますか?
「オーキードーキー。あなたは遠回しに衣笠の起用について聞いているのか? ノー・コメントである」
むろん、東側陣営も手をこまねいているばかりではなかった。自分たちの鉄の女を作ろうと苦心した。しかし、どうしてもうまくいかないのだった。毎日百人単位で科学者が、技師が処刑されていった。だから、せいぜい核ミサイルを飛ばすことくらいしかできなかった。
そのあとのことは語るまでもあるまい。世界の情勢は大きく変わった。わたしたちは鉄の女を必要としなくなり、鉄の女には敵がいなくなった。敵のいなくなった鉄の女の晩年は寂しいものだったと一般には言われている。しかし、それは敵を失った私たちの寂しさを投影したものとは言えないだろうか。
失われるものは全て寂しい。過去よりの光が背後から我が身を照らす。それが生み出す影のふちに、淡い光がある。つねにわたしたちは寂光を目指して、未来に向かって後退していく。