生まれたときの能力がちょっぴり足りないだけで不幸せスパイラルから一生抜けられない

精神科医「メンタル病みやすい人の傾向とか、よくネットに書かれているけど、結局は、『要求水準に対して、能力が足りてない人』これに尽きる」 - Togetter [トゥギャッター]

メンタル病みやすい人の傾向とか、よくネットに書かれているけど、結局は、『要求水準に対して、自身の能力が足りてない人』

…これに尽きる。

 

まさにこれに尽きる。おれは尽きた。生まれたときの能力が、日本社会の要求する能力に足りていなかった。ものすごく足りていないとは思いたくないが、ちょっぴり足りていなかった。そこそこ足りていなかった。おれが生きるのに、この世界は知的水準の要求が高すぎる、身体的能力の要求が高すぎる、バイタリティの要求が高すぎる。

 

かくしておれはメンタルを病んで手帳持ちの精神障害者になった。精神をやられるとどうなるのか? さらに能力が下がる。社会の要求に答えることはさらに難しくなって、ひたすら地獄を歩むことになる。これに尽きる。

 

いや、尽きない。そうするとどうなるのか。現実逃避をしたくなる。アルコールに逃げる。アルコールに逃げるとどうなるか? さらに能力が下がる。アルコール以外のものに逃げられる人はそうしているだろう。そしてそれぞれの能力の下がり方をしていることだろう。

 

というわけで、ここに一人の無能な中年がいる。無能を生んだ人間にもどこか欠陥があるもので、借金は残すだろうが遺産も残さない。どこか欠陥のある一族なのでみんなばらばらに生きて協力することもない。いざというとき頼れる人間などいるはずもない。

 

能力が低くて社会についていけない→精神を病む→さらに能力が低くなる→生きる苦痛からアルコールを飲む→さらに能力が低くなって社会についていけない→精神がさらに……

 

不幸せスパイラルの感性である。行き着く先は自死か路上か刑務所だ。自分で自分を殺す必要もなく、内臓が病んでおれを殺してくれるかもしれない。なんのために生まれてきたのか。せいぜい、だれかの奴隷にすらなることができなかったというくらいだ。ただし、奴隷の幸せを享受できる人間に比べて、自由のなかに放り出されて辛酸を嘗める人間のほうがましだとだれが言えるだろう?

 

運良く生まれに恵まれた人間、能力の足りている人間はなにも気にせずこの世の美しさを受け取ってほしい。おれには無理だった。自分の無能がすべて悪い。もうちょっとましな魂をもって生きてくればよかったが、選びようもなかった。この苦しい輪廻を抜け出すしか道はないが、易しい道でもない。それでも、すべての人間が生まれ変わらないようになれば、この世の不幸もすべて救われるのに。