『リア王』より『レア王』が気になります

リア王 (光文社古典新訳文庫)

リア王 (光文社古典新訳文庫)

リア王 (光文社古典新訳文庫)

リア王 (光文社古典新訳文庫)

リア いっそ、貴様、墓穴の中にいたほうがましではないか、肌をむき出し、このむごい風雨にさらされているくらいなら。人間とは、たったこれだけのものなのか? よおく見ろ、こいつを。蚕に絹を借りてもおらぬ。獣に皮を借りてもおらぬ。羊から毛も、猫から麝香の香料を借りてもおらぬ。ここにいる三人はみなニセ物だ。本物はお前一人。文明の皮を剥ぎ取れば、人間、たったこれだけの、素裸の、哀れな、二本脚の動物にすぎぬのか。捨てろ、捨てろ、こんな借り物。おい、こいつを引き破ってくれ!

 うえの部分が進化心理学などの本に引用されていた。おれはなぜか「やっぱりシェイクスピアだな」と思った。今後絶対にシェイクスピアの引用でだれかと会話をすることなどありえないのに、だ(考えられぬほど急速に電脳化社会が進めば分からない。だが、その場合は読む必要もない)。
 というわけで、おれは図書館を利用するにあたって「一貸出一シェイクスピア」という方針を定めた。とりあえず、『リア王』を借りた。
 ……が、読めないんだよな、なんか。読めない。だいたい、読むものなのか、シェイクスピア。劇を見るものじゃねえのか、シェイクスピア。たしかに偉大なるなにかなのだろうが、その偉大さもわからぬ浅学菲才、時代や文化を超えるなにかがこの世にあることは認めようとも、そこにアクセスできるかどうかはそれと一個人の相性のようななにかもあろう。そんなことを考えていると、ますますページをめくるのも遅くなり、「一貸出一シェイクスピア」もやめることにした。でも、『リア王』を読んだから、高村薫の『新リア王』を読めるかな、とか思った。
 そんなわけで、まあシェイクスピアいいやということになった、のだが、いつものくせでとりあえずWikipedia先生を見たら、次の項目があった。

『レア王』(レアおう、King Leir)とはエリザベス朝時代の戯曲で、出版は1605年だが、書かれたのは1590年頃と信じられている[1]。この劇は同じ題材(ブリタニア王レイア)のウィリアム・シェイクスピアリア王』との関連から評論家たちの関心を集めた。

『レア王』の作者については研究者たちのコンセンサスは取れていない。作者として名前が挙がっているのは、トマス・キッド、ジョージ・ピール(George Peele)、トマス・ロッジ(Thomas Lodge)、アンソニー・マンディ(Anthony Munday)、それにシェイクスピア本人である。

 うはは、「レア王」もいるのか。なんともレアじゃねえか。「レア王」いいなぁ。日清「レア王」。うん、ありだろ、これ。……とか、一人で盛り上がってしまって、将来は会話の中に『レア王』からの引用を散りばめられるようなインテリになりたいと思いました。おしまい。