ブローティガン『ビッグ・サーの南軍将軍』を読む

ビッグ・サーの南軍将軍 (河出文庫)

ビッグ・サーの南軍将軍 (河出文庫)

……〈伝道の書〉の第一章には五七の句読点があって、その内訳はニニの句点、八個のセミコロン、八個のコロン、二個の疑問符、そして一七個のピリオドである。
〈伝道の書〉の第ニ章には一〇三の句読点があって、その内訳は四五の句点、一ニ個のセミコロン、一五個のコロン、六個の疑問符、そしてニ五個のピリオド。
〈伝道の書〉の第三章には七七の句読点があって、その内訳は三三の句点、ニ一個のセミコロン、八個のコロン、三個の疑問符、そして一ニ個のピリオドである。
〈伝道の書〉の第四章には五八の句読点があって、その内訳はニの句点、九個のセミコロン、五個のコロン、二個の疑問符、そして一七個のピリオドである。
〈伝道の書〉の第五章には六七の句読点があって、その内訳はニ五の句点、七個のセミコロン、一五個のコロン、三個の疑問符、そして一七個のピリオドである。
 これが、ビッグ・サーのランタンの明りの下でわたしがしていたことである。わたしはこういうことをして、悦びとまたひとつの評価を得たのである。『聖書』はランタンの明りで読んだほうが良さが増すと、わたしは考える。『聖書』はいまだ電気に完全に順応していないと思う。

 第四章の数字が少しおかしいように思う。ランタンの明りが暗すぎるか、誤植か、わざとかのいずれかおれにはわからない。ちなみおれが読んだのは1979年、河出書房新社の初版である。『聖書』はおそらくインターネットに順応しようとしているのだろうから、だれかあらためて数えてもいいだろう。
 タイトルの「ビッグ・サー」は地名だ。おれはなんとなく「南軍将軍」というえらそうな言葉から「Big Sir」のようなものを想像していたが、大違いだ。「Big Sur」だった。

 こういうところだ。こういうところでヒッピーだかビートニクだかの風来坊みたいなのがだらだらと暮らすのだ、本書の半分くらいは。とくに印象に残るのは、うるさい蛙どもを黙らせるためにペットショップから買ってきた鰐を放つシーン、ガソリンを盗みに来たガキども脅すシーン、まあいろいろある。
 何事も比べりゃいいってもんじゃないが、『アメリカの鱒釣り』に比べると、『鱒釣り』の方がいいな、という気にはなる。なるけれども、あらためてWikipedia先生で「ビッグ・サー」がどんなところか知った上で、

 はじめてビッグ・サーのことを耳にしたとき、わたしはそれがアメリカ連邦南部同盟諸州のひとつだったことを知らなかった。

 という書き出しから読み始めると、また違った感じがするかもしれない。もう少し南北戦争に詳しければ、さらに。
 けど、そんなこと知らなくても十分、いや、八分はおもしれえ小説だろう、これは。なんて繊細で、優しいのか。都市から離れたアメリカの……、あれはなんだっけ。ケルアック? ケルアックの『ザ・ダルマ・バムズ』とかな。とはいえ、ケルアックのあれよりは、ずっとなんというか、飄々としている感じがある。突き放したところがあるし、小説ってもんを風狂に茶化してるところがある。そして、なんか哀しいところがある。そこが好きだ。
 ひょっとしたら『鱒釣り』が最高傑作なの? という予感もあるが、ブローティガンをしばらく読もうかとは思う。おしまい。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡(←鱒?)