『セデック・バレ』はすごかった

 おれの祖父は化学博士で、戦争中は海軍大尉として台湾の第6燃料廠にいた。松根油の研究などしていたらしい。祖母が語るところによれば、戦争が終わったあとも職場にいた台湾人から毎年新年のあいさつがあったなどという。そのせいか、おれは勝手に親台湾のところがある。勝手に、だ。
 それはさておき、『セデック・バレ』はカッケー映画だ。チャラい表現をしてしまうとそうなる。悲惨なる実話を元にしているというのに、だ。セデック族の男たちのたたずまいがかっこいい。酒を飲むのも、煙草を吸うのもかっこいい。その戦いがかっこいい。いきなり歌うのも、踊るのもかっこいい。男たちというより、叛乱を率いたモーナ・ルダオがかっこよすぎるのだ。もちろん凄みはある、強さを感じさせる、その上、なにか包容力があり、どこか子供っぽさというか、いたずらっ子のような表情もあり……ともかく、このおっさんを見るだけでもこの映画を観る価値がある。しかも、この人は台湾の大物名優かなにかと思っていたら、セデック族の血を引く素人(らしい?)というのだから、まあなんという。
 ともかく、大日本帝国に対して台湾の山岳部族たちが叛乱を起こすのである。「するっていうと、日本が悪役かい?」ということになる。そういうのが嫌いな人間もいるだろう。おれは、何度でもいうがぜんぜん平気なタイプなのだが(左翼からも保守からも攻撃されそうな、妙な肯定感によって)。とはいえ、ずいぶんと日本側に配慮された内容にもなっているように思える。もっと苛烈な悪役に仕立ててくれたっていいんだぜ、というくらいのもの(そっちの方が反逆心に感情移入しやすいでしょ)。とくに最後の河原さぶの台詞とか必要だったのかね。武士道ね……。カンヒザクラの咲くのが早いとか、そんな会話だけでよかったような。つーか、むしろ、どこかの農村から駆り出されてきて、台湾のジャングルでゲリラ戦で敵の標的になる日本兵の悲惨さというものがあろうに。おれなんかは、すぐに背を向けて逃げようとして後ろから矢にぶっ刺されて死ぬタイプだろうな……などと。
 とはいえ、文化と文化、あるいは文明と文化だろうか、そのあたりの価値観の衝突というか、軋轢というか……。死生観からして違う、というのはある。出草(首狩り)の習慣、しつこいくらい繰り返される彼らの神話。戦って真の男(セデック・バレ)になれたものだけが虹の橋を渡り、祖先たちの家に……っていう。ポリティカルにコレクトなのは、彼らの首狩りの習慣を保護することなのかどうか。それをやめさせることは倫理的なのかどうか。マイケル・サンデルにでも考えさせておけばいい、か。おれには正直、わからんとしかいえん。むろん、その手の学問というものはあるだろうし、学べば答えに近いものを手に入れられるかもしれないが。
 つーか、死んだら靖国で会おうというのも、たいしてセデック族と変わらないんじゃないのか。とはいえ、日本の場合、靖国で会ったあとどうなるんだろうか。祖先たちやかつての敵たちとも平和に楽しく暮らすのだろうか。あまりそういう話を聞いたことがない。また、似ているからといって、高砂族合祀の問題とか……。
 まあ、そういうお堅い話は脇に置いといてもいい。この映画のすげえのは、娯楽作品、アクション映画、戦争映画としてもおもしれえんじゃねえかってところだ。まあ、先にWikipedia霧社事件とか調べないで、とっとと見ていいだろう。それにしてもなんだろう、圧倒的火力、兵力を持つ日本軍がゲリラ戦に苦戦する。しかし、その日本軍が今度はアメリカ軍にやられる。でも、アメリカ軍は日本のゲリラ戦を恐れたりもする……。

 そんな繰り返しもあるのだろうか。まあそんなことも頭をよぎりつつ、ちょっと盛りすぎじゃねえか、でもいいかという殺戮アクション。ちょっとCGが雑なのも、殺しっぷりでカバー。ああ、しかし、すげえよ。『ザ・レイド』観てインドネシアすげえとか思ったけど、この台湾もすげえよ。いや、多国籍映画っぽくもあるんだけど……。まあなにか不思議と、まだ映画の中に居たいというか、あの風景にあの歌、あの世界に浸りたいという、そんな面もあって。長すぎるといえば長すぎるし、前編のテンションが後編まではという気もするがまあ、ええ、気にしない。日を置いてでもいいし、一気にでもいいし(そういや、ジャック&ベティに来てたの観に行けなかったな。ちょっと長時間上映に腰が引けたというのもあるが)、ともかく一回観たらいいと思うよ。マジで。ほな。