『海角七号 - 君想う、国境の南』を観る

海角七号/君想う、国境の南[Blu-ray]

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 おれの祖父は化学博士で、戦争中は海軍大尉として台湾の第6燃料廠にいた。松根油の研究などしていたらしい。祖母が語るところによれば、戦争が終わったあとも職場にいた台湾人から毎年新年のあいさつがあったなどという。そのせいか、おれは勝手に親台湾のところがある。勝手に、だ。
 それはそうと『海角七号』だ。字面だけ見るとパトレイバーの「廃棄物13号」のような、海洋に潜む角の生えた怪物を思い浮かべたりする。それが邦題になって「国境の南」(どちらの視点で? とか思ったり)など加わると、村上春樹かという気にもなる。
 海角は岬のことのようだ。そう知ると、そうかと思う。海の角(かど)か角(つの)かわからぬが、そういう表現もあるのだろうな、と思う。ひょっとしたら日本で普通に使われていたかもしれない。おれは中国語(とひとことに言っていいのかわからぬが)など学んだことはないのでわからぬが、たまに向こうの漢字についてそう感じることがある。漢字圏の近しさ、遠さ。
 というわけで、おれは『海角七号』という台湾映画のことをまったく知らなかった。『セデック・バレ』経由で知った。『セデック』制作のための資金・実績作り(それで台湾歴代映画興行成績のランキングで1位、らしいが)、という話だったか、そういう順序でつくられたものらしい。あらすじは……、

 というもの。舞台は現代、そして終戦時が混じってくる。台湾を離れる日本人の男と台湾人の少女……。正直言って、なんというか、少し親日的すぎやしないか、という感想を抱いてしまった。抗日叛乱を描いた『セデック・バレ』ですらそういうところがあったが、こちらなどはもう、という具合だ。もちろん、一つの映画に過ぎない。国(あえて)と国の関係なんていうものに「親」も「反」も簡単に烙印を押せるようなもんじゃないが……台湾の日本に対する意識というものについて、少し考えてしまった。
 少し考えてしまったといえば、台湾の多民族性というものか。舞台は台湾の最南である恒春だが、登場人物もまさに老若男女の上に出自もさまざまだ。台湾人、日本人、ルカイ族客家人、中孝介……(中孝介は出自ではない)。そうだ、ブルーレイを再生する前に「○○語の字幕の前には『・』をつけてあります」って注意書きが出たんだ。台湾語と中国語が入り乱れる(おれは20分くらい見たあとで、「どっちに『・』がついているのか気になって最初から見なおした)。そういう混在は『セデック・バレ』にも通じるところがあるだろうか。台湾のアイデンティティ、台湾の台北とそれ以外、漢人と原住民……。その複雑さをあえて描こうというところで、そこが作品の奥行きみたいになってる、とか言ってみたい。
 個人的に満足したのは、まあ最後の方でライブになるんだけれども、きちんと歌をやってくれたところ、だろうか。60年前の手紙もきちんと全部読む、歌もきちんと歌う。満足感が残る。下手を打ったな、というところがあまりない(というか、ちょっと安めのCGくらいか。『セデック』でもそうだったけど)。その分、少し長いかな、というところはあるけれども。いや、それでもいい作品でした。おしまい。

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