……しかし、ついに天使は飛び立った。エリセンダは自分のために、そして天使のために、ほっと安堵のため息をついた。老いぼれた禿鷹のようなはらはらする羽ばたきではあったが、なんとか体を支えながら、場末の家々を越えて飛んでいく天使の姿が見えた。タマネギを刻み終えるまで、エリセンダは天使を見つづけた。見ることがもはや不可能になるまで、見つづけた。なぜなら、そのときの天使はもはや彼女の日常生活の障害ではなくなり、水平線の彼方の想像の一点でしかなかったからである。
「大きな翼のある、ひどく年取った男」
『百年の孤独』は読んだことがあるが、『族長の秋』は読んだことがない。『愛その他の悪霊について』は読んだことがあるが、『コレラの時代の愛』は読んだことがない。『大佐に手紙は来ない』は読んだことがあるが、『迷宮の将軍』は読んだことがない。『予告された殺人の記録』は読んだことがあるが……まあいい。だいたい半分くらい読んだことがある。まだ半分も読むことができる。
一時期、たいそう夢中になって読んだ。もっとも、おれの一時期はたいして長くないので、全部読んだ、とはならない。それでも、藤沢の遊行通りの古本屋で、ちょっと高くなっていた『青い犬の目』を買ったりした。
ガルシア=マルケスはべらぼうに面白い。おれが最初に読んだのは『百年の孤独』だったが、忘れがたい読書体験と思える。おれはだいたい15〜20冊くらいは小説を読んだことがあるが、『予告された殺人の記録』も『愛その他の悪霊について』もベスト10に入っきておかしくはないだろう。
どこがどういうふうにべらぼうに面白いのだろうか。それがマジック・リアリズムと呼ばれるならば、それはおれのどこを魅了してやまないのだろうか。
ある種のリアルさ? そもそも、海の向こうのラテン・アメリカ自体がおれにとってリアルではないはずだ。かといっておれは魔術だけの世界を好まない。さすれば住む日常世界を超えて共通する、なにか人の生きることについての底があって、そこから立ち上がってくるのものがあるのやもしれん。そこに立ち上がった天使や美しい水死人、大佐たちが歩きまわっている。おれの日常を歩きまわる。多くの人間の日常を歩きまわる。そうであるからこその世界的作家、ノーベル賞。微妙なバランスで組み立てられた精巧ななにか、ただし幹は太い。とてつもなく太い。太いが、横から見たら紙かもしれない。紙は蝶になって飛んでいってしまう。おれは取り残される。
ガブリエル・ガルシア=マルケスが死んだからといってなんだというのだ。ここには不死さえもがある。ガルシア=マルケスもまた不滅であり、われわれもまた不滅である。適当なことを言って終わる。
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