ブルースクリーン2

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人類の個体と個体というのは絶対的な隔絶の関係にあって、究極的にはその人が目の前に立っていようが、話をしていようが、まったくの無縁なのであって、血縁的関係や性的関係などをもってしても、個体と個体というものは常に一であり、一と一の平行線世界を、ただ時間というものに沿って移動し続けるものなのである。しかしながら常に一である人類の個体というものもこの宇宙を構成する材料からのみ作られているものであって、この平常宇宙を想定する以上はそこに例外はありえず、その点によってのみ人類の個体と個体の共通が見出され、さらには同じ宇宙の材料からのみ作られているという点においては人類以外のあらゆる植物、鉱物なども共通である。この共通性と時間の移動のなかでわれわれはわれわれの知り得ぬところである種の共感というものを獲得している可能性があり、その同時間性質は、たとえばわたしがわたしの行動が地球の裏側のだれかの行動に引き継がれ、また地球の裏側のだれかの感情がわたしの感情を揺さぶるということも起こりうる。またわたしがある砂漠の一粒の砂であり、空の雲を構成する何かであり、それはまた私の知らぬ、あるいは知るかもしれぬだれかの構造やその変化に影響を及ぼす可能性もある。同じものにより構成されている私と私たちは同時間のある時点をもって同一となり、連続となる。われわれは一つ一つであり、絶対的な断絶の中を個別に蹌踉し続けるが、同平常宇宙材料の組成がもたらす限界によって限定された世界をのみ知覚し、あるいは知覚せず存在し、その限定がもたらす共通性により同時の同行動ないし連続性を持つ。われわれ人類の個体はやがて死という活動停止を迎えるが、死のみが絶対的な隔絶を持ち不意の同時点同行動ないし連続的行動以外において孤立していることから自由になり一は一でなくなりまた一つ平常宇宙材料に還ることを意味する。われわれの意識という幻像も情報も一つの宇宙材料に還り、血肉を構成する諸材料とともにある統一の中に還る。われわれの宇宙は一つの宇宙材料が細分化し、結合してその知覚しうる外殻をまとっており、それは常に生産をやめず、また終了物の回収をやめることはない。われわれの宇宙材料から作られた限定された知覚がその機序を解することはありえないが、われわれがありのままの宇宙材料存在として知覚もなく虚空を彷徨っていない以上は、一にして全なる存在を想定するよりほかない。一方でその一にして全なる存在にある意志を想定することは全くの無為のことであり、数えきれぬ偶然の産物がわれわれの限定された意識であり、知覚であり、あるいはそれは一本の大木であり、ひとかたまりの火山弾なのである。数えきれぬ偶然の中にあって、時間まで共有するほぼ同じ組成を持ったものと、絶対的な隔絶を取り払ったかのような意思の疎通を感じるのは、確かなる誤謬ではあるが、その誤謬なしにわれわれ人類という偶然的宇宙材料組成物は存在しえないと感じさせる何かがある。われわれはそれに愛や情という名をつけているが、一方で一つ一つである隔絶されたわれわれが宇宙において一個であることを意識しないでは、やはりその自己の存在について誤りかねぬところがある。言語とそれが表す無限感に騙されて、その宇宙限定材料的狭隘を見誤ってはならない。われわれは限られた宇宙材料から組み立てられたものであり、虫や石と変わるところなく、言葉や情報も宇宙材料に過ぎず、偶然時間を意志なく選ばれた存在にすぎない。