右肘に激痛が走る、思わず目をやる、冗談みたいに血が跳ねてる。腕を通り越して脇腹まで押し込まれるような痛み。目に涙が浮かぶ。だが泣いている暇はない。おれは不格好に二歩、三歩と突進する。しゃがみこんでハマヒサカキかなにかの植え込みに身を隠す。恐怖と戦いながら頭をあげてあたりを伺う。動くものはなにもない。左手で右肘を抑えながら、下を向いて息を吐く。体の中をドクドクと何かが巡っているのを感じる。右肘の痛みを感じる。それすらも鼓動の一部となる。おれは本来右手がつかむべき位置にあるワルサーP99を左手で不器用に抜く。耳をすませば遠くに椿の海のさざ波が聴こえる。あの日、自転車に二人乗りしたあの子のことを思い出す。不確かな、それでもありえるだろう未来を、ただひたすらに、実直に想像していた。すべてははかない少年の夢だった。そう気づいたのは木曜日の朝、満員電車の中でだった。おれの目の前の中年男性が女子中学生と思しき女の子の尻をまさぐっていた。おれは「あなた、そんなことはおやめなさいよ」と勇気を振り絞って言った。すると、女子中学生と思しき子が「いいのです、これはすべてわたしの罪のせいなのです」と泣きながら言うではないか。いいか、君みたいな子が泣くもんじゃない。笑え、笑うんだ、そうすればきっと未来は開ける。いや、開いてみせるんだ! おれは火に包まれたフロアのなかでそう叫ぶと、ドアノブに手をつけた。むちゃくちゃに熱かった。冗談じゃない、こんなの触れないと思った。命がかかっているのに、それでもむちゃくちゃに熱いんだもの。まったくもって、これが熱帯というものかと思った。サングラス越しにも太陽の照射は強烈だ。この島に来て何日目になるだろう。知ったことか。おれはただこの島でオレンジ色のボートが来るのを待てばいい。オレンジ色のボートから紫色のシャツを着た男が降りてきて、えんじ色のバッグを受け取る。それだけで50万円だ。それだけの話だ。おれは港の見える席にに座ると、テキーラを注文した。おれはこの国の言葉で、テキーラを注文する以外のことはできない。しかし、その言葉、どう考えても「テキーラ」という要素が入っていないように聴こえる。なにかこう、テキーラのまったく別の言い表し方があるのだろう。そう思う。テキーラとテキーラをあらわす異国語。二つの領域はともに環境にそなわる利用上の大切な価値を劣化させる。つまり、双方とも、人間生活の自立と自存の基盤(サブシステンス)を破壊するのだ。世界の破壊なんて考えているから、おれは女の誕生日を忘れてしまう。今さらどうすればいいというのだろう。実家の猫もずいぶん年を取ったはずだ。会いに行くこともできないが、できることならまだまだ長生きしてもらいたいとは思う。おれは左手のワルサーP99を持って門に向かって走った。直後、スンと空気をすり抜ける音がして、後頭部にとてもとても大きな痛みを感じる。金属バットで思いっきりぶん殴られたみたいだ。これがこの世で最後の、と思う。いや、思うひまもなかったかもしれない。今となってはどうでもいいことだった。