- 作者: レイモンド・チャンドラー,村上春樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/03/08
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 100回
- この商品を含むブログ (280件) を見る
ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
- 作者: レイモンド・チャンドラー,村上春樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/09/09
- メディア: 文庫
- 購入: 5人 クリック: 38回
- この商品を含むブログ (88件) を見る
そしてもちろん、チャンドラーだってずっと昔から持っている。しかし、どうにも読み進められない。毎回、ロールスロイスがどうののあたりで跳ね返されてしまう(ほとんど最初のページじゃないだろうか)。それでいて、読むリストの上位に居続けているわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20060224/p4
ロールズ(と村上訳では書かれていたように思う)がどうのこうのあたりで、どうにも光景もなにも想像できず、放ってしまう。ここからさき読み進んでいくぞ、という気になれない。
が、どうだろうか。村上春樹は翻訳には賞味期限があると言っている。訳が古すぎたせいかもしれない。というわけで、まさに村上春樹訳『ロング・グッドバイ』に手を出した。
……んだけど、おまえ、やっぱり冒頭で「うーん」となってしまう。どこがどうおれのチャンネルに合わないのか説明しがたいが、冒頭が駄目だ。が、おれは「じゃあ冒頭を読むふりをして、進んでしまおう」と思った。わからないことが出てきたら、巻き戻せばいい、と。そういうわけで、「読むふり」をしてさきに進んだら、いや、おもしれえじゃないの。いいじゃないの、と。
「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いてい る。バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いをしている。ネクタイが曲がっていないか、髪に乱れがないか。バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりのようなものが僕は好きだ。バーテンダーがその日の最初のカクテルを作り、まっさらなコースターに載せる。隣に小さく折り畳んだナプキンを添える。その一杯をゆっくり味わうのが好きだ。しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル――何ものにも代えがたい」
私は賛意を表した。
おれは一冊読み終えたあと、思い返してかなり最初のほうのこの箇所なんかがいいな、と思った。おれはバーというところに入ったこともないのだけれど、なんか開店直後のバーいいな、と思った。汚濁と騒々しさを待つ清冽な空気があるんだろうな、などと思った。
で、この「私」はもちろん、フィリップ・マーロウ。最後にeの付くマーロウ。そうか、これがマーロウか。プリンでしか知らなかったが、タフでシニカル、そしてリリカル、でもどっか空虚で、その空虚さになんともいえぬ余地があって話を追うのが楽しい。私立探偵はバーにいてもいいし、億万長者の家にいてもいいし、ドヤ街にいてもいいし、殺人現場にいたっていい。チャンドラー節というのかわからないが、その場面場面が、そして人々がスパッと描かれている。心地よい(なのになんで冒頭が駄目なのかよくわからないけれど)。
まあそれにしても、安いスコッチを片手にグイグイと読み進め、読み終えてしまった。探偵小説の犯人探しの魅力だけとは言いがたいなにかがあって、それはときになにかスーパーリアリズムのようでもあって。おれはジェイムズ・エルロイなどを愛するのだけれども、チャンドラーもいいよって今更ながらに。
最後、ちょっと翻訳で気になったところ。というか、くそちっぽけなところ。マーロウの家の「ノウセンカズラ」。たぶん標準和名は「ノウゼンカズラ」だろうな、と。まあべつに世の中「ノウセンカズラ」としている人もいるみたいだし、誤訳だの言うつもりはないが。ただ、これについてはWikipedia先生が指摘していて、気にする人は気にするもんだなと思ったり。
wikipedia:フィリップ・マーロウ
ノウゼンカズラ - 自宅の外に植えてあり、日本人の庭師が週に1回剪定に来る。村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』では「ノウセンカズラ」と表記されている。
あともうひとつは「おおばん」で、「おおばんナニ?」って思って検索したら鳥の名前だった。これもカタカナ表記だったらわかりやすかったかな、とか。でも、オオバン言われても同じことか。
wikipedia:オオバン
で、さらにどうでもいいことを考えるに、「ノウゼンカズラ」は「アメリカノウゼンカズラ」だろうし(日本人の庭師が持ち込んだというなら別だろうが……)、「オオバン」もウィキペディアの分布の説明を読む限り「アメリカオオバン」のようだ。
wikipedia:アメリカオオバン
さあ、ここからが問題で、アメリカが舞台の翻訳小説で「アメリカノウゼンカズラ」や「アメリカオオバン」と訳すのが正しいのかどうか。アメリカ人にとってみりゃ「ノウゼンカズラ」がChinese Trumpet Vineだろうが、ということになる。
というか、植物図鑑や鳥類図鑑でもないのに、精確を期す理由もないし、「アメリカ」付きが余計なブレーキになってしまう可能性すらある。そのあたり翻訳家は、あるいは村上春樹はどう考えているんだろう。ひとつ村上さんに聞いてみるかと思ったが、とっくに質問の受付は終わっているのであった。おしまい。
_____________________________________________
……古い訳で読んだらサム・スペイドが「うふふ」とか「うふん」って笑ってるのが気になってしょうがなかった。原文だとどうなってんだろ。「アイエエエエ!」みたいに直訳じゃねえだろうし。