柴田元幸責任編集『MONKEY』Vol.11 特集「ともだちがいない!」を読む

 

MONKEY vol.11 ともだちがいない!

MONKEY vol.11 ともだちがいない!

 

何日か前の神奈川新聞。「MONKEY」という雑誌が紹介されていた。村上春樹の「アンデルセン文学賞」授賞式のスピーチが日本語と英語で載っているよ。あと、チャールズ・ブコウスキーの未翻訳作品が載ってるよって。神奈川新聞に「ブコウスキー」の文字列が載ったことなんていままで何度あったろうか。おれは柴田元幸訳のブコウスキーが読みたくて、この「MONKEY」を買ってみた。特集は「ともだちがいない!」だった。余計なお世話だ。いや、おれはいま「ともだちがいない!」ことにすばらしい自由を感じているのだ。そこにブコウスキーだ。すごく、いいじゃないか。

 あるいは、チャールズ・ブコウスキーがビート・ジェネレーションの一部のように言われることがときどきあって、どうも違和感があったんですが、それはつまり、ブコウスキーはともだち0、ビートはともだちたくさん集団、という違いが大きいと思うからです。

「猿のあいさつ」(たぶん柴田元幸

そう、われらがハンク、ブコウスキーはともだち0。『くそったれ!少年時代』、『勝手に生きろ』を読めばわかる。

くそったれ!少年時代 (河出文庫)

くそったれ!少年時代 (河出文庫)

 

 

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

 

 そのあたりが冒頭から書かれていて、うん、そうだよな、と思ったわけ。それでもって、「ともだちがいない!」という言葉を投げて帰ってきた谷川俊太郎の詩から始まる本誌、いい雑誌。広告なんてぜんぜんなくて、すてきな言葉と絵で構成されていて1,200円。これはお買い得。おれはウィリアム・バロウズが描くヤク中みたいに貧乏だから値段を気にするけれど、ともかく損はない。おれは今まで、この文芸誌のことなんてまるで知らなくて、まあそういう暮らしをしているのだけれど、すげえいいな! と思った次第。村上春樹目当てでもなんでもいいから買っておくべきだぜ。もちろん、ブコウスキー・ファンもな。

ブコウスキーの作品には案外スラングが少ない。なぜか。スラングは仲間内の通り言葉である。ブコウスキーには仲間、友だちがいない。ゆえに彼の(自伝的)作品にはスラングが少ない――この思考の連鎖から特集「ともだちがいない!」が生まれました。

というわけで、ブコウスキー「アダルト・ブックストア店員の一日」。

 

 「4番くれ」と男は言った。

 「何の4番?」

 「上から4番目の『日刊競馬』だよ」

 マーティは上から4つ数えて、それを引き出し、1ドルを受け取った。

 「第4レースの4番の馬に賭けるんだ。それと、オッズが4倍の馬にも全部」

 そして男は帰っていった。

 日本の競馬新聞として『日刊競馬』という固有名詞があるのに、この翻訳がいいのかどうか、というのはしょうもない競馬ファンの戯れ言だが、ともかく競馬新聞も売っているアダルト・ブックストア店員の一日の話だ。ろくでもなくすばらしい。さらに翻訳されている詩と写真(水谷吉法という人)もよかった。

ともかく、全般的によかった。おれは文芸誌なんていうものを読まないから、この本もぜんぜん知らなかった。知ってよかった。バロウズも読めた。アンデルセンも読めた。まだ、読んでないところもあるけれど、きっとすばらしいのだろう。おれの知らないところですばらしい雑誌があって、偶然、おれの知るところになる、そういうこともあるのだった。おしまい。