グレイス・ペイリー『人生のちょっとした煩い』を読む

人生のちょっとした煩い (文春文庫)

人生のちょっとした煩い (文春文庫)

 女たちは子供たちの数を数え、偉そうに振る舞う。まるで自分が生命を発明したんだと言わんばかりに。しかし男たちは世間で身を立てなくてはならない。男たちには幸福なんぞにうつつを抜かしている暇はないのだ。私にはそれがわかる。
「人生への関心」

 かつて読んだ、グレイス・ペイリー村上春樹訳の『最後の瞬間のすごく大きな変化』。おれのなかでとくべつなところにあって、いろいろの作家のいろいろの本を心の本棚に整理していって、さてこれはどこに入れたらいいかわからない、という代物。
 そのグレイス・ペイリーの他の本を読んでいないな、と村上春樹のサイトを見ていて思い出した。他の本、といっても他に二冊短篇集があるだけだった。そのうちの一冊はまだ翻訳されていなくて(村上仕事しろ)、読めるのはこれ一冊だった。
 小説に男性性とか女性性とかあるのかどうか。書き手の情報が一切ない状態で短編小説を読んで、「書いたのはどっちだ?」と言われて答えることはできないように思う。とはいえ、たとえばグレイス・ペイリーですと言われて読んでいると、そこには男の心身を持ったおれとは違う心身を持っただれかが書いたものかもしれないな、と思ってしまう。差別的な先入観とかいうものかもしれないが。しかし、それがとてもおもしろい。話がおもしろい。「人生への関心」の冒頭とか好きだ。

 ある年のクリスマス、夫が私に箒をプレゼントしてくれた。ひどい話だ。それが親切心から出た行ないであるなんて、言ってもらいたくない。

 あるいは、村上春樹も言及しているように「変更することのできない直径」の登場人物のチャールズ・C・チャーリー「まっとうな庶民としての強固な哲学が、あり、たしかな矜持がある」描かれ方とか……。
 まあともかく、もう一冊を待つ。それで終わりというのは残念な話だが、本棚からはみ出た本は読み返す機会もあるだろう。

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 この本も表紙はエドワード・ホッパーで、おれはエドワード・ホッパーが身悶えするくらい好きなんだけれど、展覧会などで腹いっぱい鑑賞したことがない。どっかでやんねえかなあ。