ロルフ・ギュンター・レンナー『エドワード・ホッパー』を読む

ホッパー NBS-J (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)

ホッパー NBS-J (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)

 おれはエドワード・ホッパーの絵がたまらなく好きで、身悶えするくらい好きで、ともかくたまらんと思えてしょうがないのだ。……というようなことは何度か書いたような気がする。

 とはいえ、おれがホッパーの実物を見たのはせいぜい一作か二作で(そのうちの一作は『日曜日』で、たいへん素晴らしかったのだけれど)、よく考えてみたらホッパーのことをぜんぜん知らなかった。そういうわけで、タッシェンのニュー・ベーシック・アート・シリーズなど手にとってみた次第。そしたら、こんなホッパーの言葉が載っていた。

「もしかしたら私はあまり人間的ではないのかもしれません。私の関心は、家の壁に当たる陽光を描くことにあるのです。」

 なんというか、たまらんね。このドライな感じ。しかし、描かれる壁のすばらしいこと(……といっても、やはり実物をあまり見ていないので何なんだけれど)。ああ、『ナイトホークス』(『夜更かしの人々』)を見てみたい。『ナイトホークス』についてホッパーはこう語っているという。

「『夜更かしの人々』は、夜の通りに対する私のイメージを表したものであり、必ずしも特別孤独なものを表したわけではない。私は情景を極めて簡略化し、レストランを引き伸ばした。無意識から恐らく大都会の孤独を描いたのである。」

 渋いね、そうなのね。ふむふむ。しかしまあ、この本の図版を見ていても心ときめく。『ガソリンスタンド』のガソリンスタンドと背景の森の対比からくる侘びしさのようななにか、色鮮やかな『線路の日没』、壁に当たる陽光を満喫できそうな『日曜日の早朝』、どれもいいじゃないの。なんらかのハード・ボイルドさを感じさせる『夜の話し合い』の奇妙な感じ、『四車線の道』の道! ああ、もう。
 え、そんでロルフ・ギュンター・レンナーさんは何を書いているの? たとえば『日曜日』について。

 この作品は、明らかに他のホッパーの作品に見られるイコノグラフィックな兆候を裏返したものである。ここでは一人の人間が自然秩序を代表するものとして、極めてさりげなく、ぽつんと町の一角に配されている。前景の男は通りのにぎわいを眺めてはいず、物思いにふけり、文明社会から閉め出され、また自然空間とのかかわりも持たない。男のうつろな瞳は、空っぽに見えるショーウィンドーに奇妙にも対応している。町は死んだ様に人気がなく、店には果たして売りものがあるかどうかさえわからない。

 ……だそうで。まあそういうことだそうで。まあ、おれはその「男」のピンバッジをメッセンジャーバッグにくっつけて喜んでるミーハーだからどうでもいいや。そんでもって、どっか(おれの行ける範囲。できれば南関東)でホッパー展やってくれねえかなあ。2000年くらいに来たらしいから、そろそろ頃合いじゃあないの? 頼むよ、ほんと。

>゜))彡>゜))彡>゜))彡

……この文庫本の表紙見て急にホッパーのことが気になった。『カフェテリアの日ざし』やね。グレイス・ペイリーの三冊目が出たら……って、内容わからんけど、やっぱりホッパーやろうね。アメリカ文学の本の表紙にホッパーはビタっとくるもんがあるね、たぶん。いや、ものによるか。