だれにでも勧めてやる! ニック・ハーカウェイ『世界が終わってしまったあとの世界で』

世界が終わってしまったあとの世界で(上) (ハヤカワ文庫NV)

世界が終わってしまったあとの世界で(上) (ハヤカワ文庫NV)

世界が終わってしまったあとの世界で(下) (ハヤカワ文庫NV)

世界が終わってしまったあとの世界で(下) (ハヤカワ文庫NV)

……そもそも世界を終わらせたやつと同類の科学者どもに。科学者がひどい兵器をつくったとき、おれたち普通の人間も力を貸しちまった。忘れちゃいけないが、それは怖かったからだ。みんなはどうか知らないが、おれはもう連中に協力する人間にはなりたくない。心の半分がいつも怖がってて、あとの半分が恥じている、そんな人間にはなりたくないんだ

 世界が終ってしまったあとの世界の話である。なんというか、なにを述べてもネタバレになってしまうかもしれず、この世の中の一人か二人の人間の興を削いでしまうことをおれはおそれる。そう、おそれるのだ、単なる一読者であるおれが。おれは「べつにネタバレなんて気にしないわ」という人間でないので、そうなるのだ。そうだ、そう思うくらいこいつは面白い小説だ。なんどもひっくり返った。訳者解説でもひっくり返った。七転八倒のおもしろさがある。なにも知らんと読み始めるのがよろしいかと思う。

 銃で脅かせて誰かを歩かせるとき、やってはならないことがひとつある。銃口で身体をつつくことだ。身体に触れると、相手にこちらの位置を把握する機会を与えることになる。銃のありかも知れてしまうし、こちらが引き金を引く前に攻撃される可能性が高まるのだ。

 少しだけ中身を紹介すれば、拳法とニンジャ軍団は出てくる。あるいは、嘘か真か知らぬが上のような細かな軍事技術について出てくる。子供っぽいとか言わないでほしい。なかなかいけてるんだよ、うまい具合に。うまい具合に、だ。シリアスの中のユーモア。それなりに活きてると思うぜ。

……そこでは戦争は合法的でもなければ有益でもない。必要でもなければ適切でもない。避けるべきものである。そのことを誇らしく語ったあとで、なんたらかんたらとあれこれの理由をまわりくどく述べていくのだが、結論は明確で、結局は戦争をやるのだ。ただし本当の戦争じゃない。なぜならそれを望んでいないし、そもそも許されていないことなのだから。したがってわれわれがやるのは、おおぜいの人が死ぬであろうある種の超暴力的な平和活動。つまり〈非=戦争〉だ。

 そう、シリアス。国家や戦争、組織、個人という問題についても取り扱ってるわけだ。著者の学術的なバックボーンはそこにあるらしい。とはいえ、小難しい話じゃあないんだ。なんといったらいい? おれはカート・ヴォネガットのようだとも思ったし、村上春樹のようだとも思った。伊藤計劃フィリップ・K・ディックのようだとも言っていいかもしれない。そして、また言うけれども、なんどもひっくり返った。うひゃーって具合におれがひっくり返った。「なんかひっくり返れる本ないかな?」と思ったら、こいつを是非おすすめしたい。おれより重い人はひっくり返らないかもしれないが、知った話じゃない。アイディア一発勝負かもしれないが、とりあえず読み始めたら止まらないぜ。いや、なにかしらのハートがある作品なんだ。悪くない気にさせてくれる。まったく、悪くない。