チャールズ・ブコウスキー『ワインの染みがついたノートからの断片』を読む

 

おれとブコウスキーブコウスキーとおれ(←だれにも気づかれないことだろうが、これはジェイムズ・エルロイの書き出しのパクリ)。おれは邦訳されたブコウスキーのほぼほぼを読んだつもりだったが、まだ読んでいない本もあった。そして、邦訳されていない、さらに多くの詩や断片があるらしい。

して、おれはこの本を編集したデイヴィッド・ステファン・カロンという人の「序文」に次のような一文を見つけて、飛び上がるような気持ちになってしまった。

……ブコウスキーと同時代のアメリカ人作家であるソール・ペローやジョン・アップダイクと仲良く交わっている彼よりも、パリのビストロでバタイユと一緒にいる、あるいはルーマニアの偉大な作家であるエミール・シオランと冷笑的で辛辣な金言をやりとりしている彼のほうが、ずっとたやすく思い浮かべられるはずだ。

シオラン! おれが2018年最大の出会いだと思ったシオラン! そのシオランの名が、ブコウスキーの本の中に出てきた! おれの好きなものと好きなものが、またつながった。それはおれの好みの根っこになにかしらの一貫性があると思わせてくれることであり、おれが世界の一部を掴んでいるのだな、と感じさせてくれるじゃあないか。ブコウスキーのヨーロッパ性、というものにおれはピンとこないが、アメリカの中で異端であったチャールズ・ブコウスキーというものの出自というものがあるんじゃあないか。いやはや。

たとえば、こんなところはシオランの自殺観と一致するかもしれない。

……わたしはワインを飲み、公園で眠り、腹を空かせていた。自殺こそわたしの最大の武器だった。そのことを考えればどこかほっとさせられた。檻にどこか抜け穴が考えることで、おの檻の中にまだしばらくいられそうな、ちょっとした力を与えられた。

―「ロング缶ビールの半ダースパックを飲みながら書かれた詩学といまいましい人生についてのとりとめのないエッセイ」

タイトルが長え!(千鳥のノブ風に)。まあそれはともかく、「死をポケットに入れて」生きるハンク(ブコウスキーの愛称のひとつです)の姿が見える。マッチョでありながら、繊細な。そう、彼の少年時代の自伝を読めばわかるように、とても繊細で、内気なひととなり。そこに惹かれる。

 そこであなたは今一度考え直し、はっきりと口に出して言う。英文学の教授になるか、皿洗いになるか、二つの選択肢を与えられたとしたら、あなたは皿洗いを選ぶ。恐らく世界を救うためではなく、これ以上の害を与えないために。しかし、もしあなたにそうする気があるのだとしたら、あなたは詩を書く権利を手放さずにいることができ、それは教えられたから書けるのではなく、自分が選んだささやかな道を歩もうとする時、詩が時には力強く、また時には無力なまま、あなたの心の中に入って行ったり、そこから出て行ったりするからだ。もしもあなたがついていれば、飢えるという選択さえもすることができ、それは皿洗いという行為すら死とは無縁ではないからだ。

―「ある特定のタイプの詩、ある特定のタイプの人生、ある特定のタイプのやがては死ぬことになる血で満ち溢れた生き物を擁護して」

タイトルが長え!(二度目)。ともかく、「少数者が選び取った道」についての、ブク(ブコウスキーの愛称のひとつです)の真摯さが見える。ブクは飲んだくれのファック大好きおじさんだが、常に言葉への真摯さがある。そして、生き方への真摯さがある。たとえそれを認めない人がいるにしても。

 戦争賛成の時代の中でわたしは戦争反対だった。いい戦争と悪い戦争の見分けがつかなかったし――今もつかないままだ。ヒッピーがまだ一人もいない時代にわたしはヒッピーだった。ビートが現れる前にビートだった。

 わたしは孤立無援で抗議の行進をしていた。

―「スケベ親父の告白」

そして、世界のなかで真っ当に立っている。おれにはそう思える。

 言葉。ハリウッド・パークの初日で、わたしは競馬場に向かっているところだが、これから言葉について語ろうとしている。言葉をちゃんと書き留めるためには、文章形式を確かめ、人生を生き、それを一行の中に込めることができる強い精神力が必要だ。

―「息づかいと書き方の数学について」

そして、言葉のなかで。言葉について語ること。それはあまりにも難しいことだ。ときどき文章についてほめられることのあるおれはときどき、文章を書くということについて書きたくなるが、それを書くことの困難さ、あるいはそれが傲慢であることを前にして、ついには書けたことがない。「強い精神力」が必要なのだ。ただ、ひとつ小さな、そして本心からのアドヴァイスを書くとすれば、「文章を上達させたければ、日本語ラップを聴きなさい」だ。

ところで、このあと競馬場の場面になって、「ピンケイ」と「シューメイカー」という騎手について語られているが、前者は日本競馬においては「ピンカイ」ではないだろうか。ちなみに、おれは大井競馬場に来たラフィット・ピンカイ・ジュニアを生で見たことがある。おれの人生の自慢のひとつである。

 ある男がわたしにこう尋ねた。「ブコウスキー、もしも文章講座で教えるとしたら、みんなに何をするように言うのかな?」。わたしはこう答えた、「みんなを競馬場に行かせて、どのレースにも五ドル賭けさせるようにするよ」。この脳足りんはわたしが冗談を言っていると受け取った。人類というものは裏切り行為やいかさま行為、立場を変えるということにとても長けているのだ。作家になりたい者に必要なことは、いいかげんで汚い手を使っても逃げ出せないような場所へと放り込まれることだ。

―「息づかいと書き方の数学について」

そして、言葉とは、文章とは、逃げ出せないような場所において立ち上がってくるものだ。そして、逃げ出せない場所といえば競馬場である。寺山修司じゃあないけれど、馬券とはそいつの人生なのだ。

 スタイルとは何の盾もないことだ。

 スタイルとは何の見せかけもないことだ。

 スタイルとは究極の自然らしさだ。

 スタイルとは無数の人間がいる中でたった一人でいるということだ。

「ウィリアム・ウォントリングの『7・オン・スタイル』の出版されなかった前書き」でブコウスキーはこう書いている。掛け値なしにかっこいいし、信頼できる言葉と思える。「たった一人でいるということ」。金子光晴じゃあないけれど、「むかうむきになってる、おっとせい」。スタイルとはこういうことだ。おれはおれのマイスタイルを持っているだろうか。金杯でマイスタイルは買えなかったな。

 まずは、忠告から始めよう……。

 明晰な頭の状態でいることは不可欠だ。交通渋滞に巻き込まれてメインレースぎりぎりに競馬場に飛び込むようなことがあってはならない。早めに着いてゆっくりとやるべきことに取り掛かるか、第二レース、第三レース、第四レースあたりに到着するかのどちらかだ。まずはコーヒーでも一杯飲んで、腰を落ち着け、深呼吸を何度か繰り返す。自分が夢の国にいるわけではなく、無駄にできる金など一銭たりともなく、勝ち馬を見つけるのは芸術で、まわりに芸術家などほとんどいないことをしっかりと頭に叩き込んでおくことだ。

―「馬を選ぶ 競馬場で勝つ方法、もしくは少なくとも損をしない方法」

競馬者として、なんという的確な忠告だろうか。思えば、酒に酔ったりして買った馬券が当たった記憶などない。きちんとコースと馬の血統の相性を見比べて買ったときこそ、馬券が当たるときなのだ。明晰な頭をたもつこと。それが競馬で、少なくとも損をしない方法。

 優れた性格の持ち主でなければうまく競馬をすることはできない。わたしはこんな格言を大切にしている――競馬に勝てる人間なら、自分でやろうと決めたことは何でもやってのけることができる。

 ―同上

うまく競馬をすること。「お馬で人生アウト」にならない人間。おれが優れた性格の持ち主かどうかわからないが、二十年近く競馬をしてきた。勝ちはしない。しかし、うまく競馬をしてきたようには思う。本当にろくでもない人間は、あっという間に競馬から放り出されてしまうことだろう。あるいは、あらゆるギャンブルから。

 競馬に関してのわたしの最良の忠告は――行くなということだ。

 ―同上

まあ、結局のところこういうことでもあるのだけれど。ブコウスキーはべつの場所では「水彩画をはじめなさい」と忠告していたと思う。まったく。

さて、この本の最後の方には「師と出会う」という中編が収められている。主人公のわたしは「チナスキー」(ブコウスキー自身がフィクション化されたときに使われる名前)だし、師であるジョン・ファンテはジョン・バンテだ。これはもう、必読だろう。

 わたしはセリーヌツルゲーネフ、そしてジョン・バンテの助けを借りて、なかなかうまくいっているという感触を持っていた自分自身の作品の執筆に取り組んだ。しかし書くとういことは途方もない行為だ――いつになってもどこにも辿り着けはしない――近づけはするものの、決して到達することはない。だからこそほとんどみなが挑み続けなければならないのだ――わたしたちはかつがれているだけだとしても、やめることはできない。愚かさというものはしばしば書くことを促し、書くことの助けとなるのだ。

―「師と出会う」

笑われるかもしれないし、あるいはかつがれているだけかもしれないが、これでもおれが書くということに挑んでいると言ったらおかしいだろうか。おかしくてもいい。おれはおれのスタイルを手に入れたい。そして、競馬に勝ちたいのだ。

 

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