さて、帰るか

先崎学の浮いたり沈んだり (文春文庫)

(※本としては未読です)

おれは双極性障害躁うつ病)だ。そういうわけで、浮いたり沈んだりしている。とはいえ、浮いたり沈んだりは双極性障害特有のものでもなければ、将棋指しのものでもない。人間みなそれぞれに浮いたり沈んだりしている。当たり前の話だ。

じゃあどこが病気なんだ。その揺れ幅だろうか。そういう意味では、いきなり意味不明の大金を使ったり、なんのあてもなく会社を辞めて独立したりする躁状態になる双極性障害I型(I型とII型というのがあるのです)というのはわかりやすい。まわりの人にも大迷惑をかけたりする。病気といっていい。

じゃあ、おれの双極性障害II型というのはどうなのか。II型は揺れ幅が少ない。おれの場合はだいたいの場合抑うつ状態が続いている。最初は自分が大うつ病だと思って病院に行った。ところが、一年くらいして、「おまえ、うつ病ちゃうな。双極性障害や」ということになった。なにせ一年くらいかけて観察されての結果なので受け入れた。でも、おれの躁はどこに?

I型もII型も躁状態のときに病識をもつことは稀だという。そう、なにせノリノリだからだ。実態が伴っているかどうかはわからないが、すごくやれてる感がある……のだろう。というのも、おれにはいまいち躁転したときの感覚がない。今思えば、クロスバイクで1日197km走ってたりしたときは躁だったかもしれない。たんに肉体の健康が精神の健康にも良い影響を与えていただけかもしれないが。野菜も食べている。いつだって。

というわけで、おれはいつだって不安を抱えて(それに対して抗不安剤もα・β遮断薬も飲んでいるが)、苦しい。究極のところ、アルコールだけが友達だ。酒を飲んでいて普通になれる。そういう感覚がある。依存しているといってもいい。双極性障害者の物的依存症率は高い。自殺率も。

世の中の双極性障害者はどのように生きているのだろうか? そういうのをたまに覗いてみたくて、同病者のブログなどを読んだりもする。そこのあなた、たまには右のバナーをクリックしてくれてもいい。だが、いまいちピンとこない。

おれはひょっとすると病名を引き剥がされたほうがいいのかもしれないとも思うし、べつの病名を付加するべきなのかもしれないし、ラベルを張り替えたほうがいいという可能性もある。ただ、おれは普通になりたい。安心がほしい。平凡がほしい。疲れ切ってしまって、暖かくなってきたのにジョギングする気力すらない。どうしたものか。どうにもならぬ。そして、春はおれが一番苦手とする季節である。双極性障害者の物的依存症率は高い。自殺率も。

ささやきは春風の声予後不良