出生は犯罪と同様となぜ言えないのか?

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CNN.co.jp : 「障害児の出生防ぐ中絶はナチスの犯罪と同様」 フランシスコ法王

法王の発言内容は、事後にローマ法王庁が確認した。それによると、障害をもつ子どもの中絶については、「妊娠初期に子どもが健康か、それとも何かあるかの検査を行い、まず最初に『追いやってしまおう』と提案するのがファッショナブルだと、あるいは少なくとも普通だと聞いた」と発言した。

その上で、「私はそのことに苦痛を感じる。前世紀には、ナチス民族浄化のために行った行為に関して全世界が憤った。現代の我々はそれと同じことをしている。だが今回は白い手袋を使って」と語った。

妊婦が腹の子に障害があるとわかって中絶を選ぶことを、ローマ教皇ナチス的とおっしゃる。いきなりだが待ってほしい。腹の子に障害があろうがなかろうが、この世に生まれてくるかぎり不幸しか待っていないのだから、出産そのものを犯罪的なんじゃないのか。

三回贅沢な人生を送ってもまだ有り余る富のあるような家に生まれれば別かもしれないが、おおよその人間は物心ついたときから絶えざる緊張と競争、遠回しの殺し合いの中に放り込まれ、嫉妬や惨めさの中にのたうち回った挙げ句、病気や老いの身体的な苦痛の中で後悔のみを胸にいだき死んでいく。そのような事態を生み出してしまうこと自体が犯罪的なんじゃないのか。

四苦八苦の四苦は生老病死。いずれも人間には避けられない。そして、まずはじめに生がある。そして、おおよそほとんどの人間はそれを乗り越えられない。たとえ、三回贅沢な人生を送ってもまだ有り余る富のあるような家に生まれた金持ちの子であろうと、苛烈な殺し合いからのし上がったような成功者でも、大うつ病性障害のひとつにでも罹れば自殺と隣り合わせだ。

人間に人間は早すぎる。生老病死すら克服できていない。ならばせめて、今の人間がこれ以上人間を増やさないに越したことはない。その過渡期の人間として生まれてしまっているものは仕方ない。殺せとも自殺しろとも言わない。だが、これ以上作ってどうするというのか。どうなるというのか。

この国では少子高齢化が問題などと言われているが、むしろ寿ぐべきである。運悪く生まれてしまった人間は惨めな殺し合いで心を粉々にされ、下手に長生きすれば若い世代の重荷となり、彼らの人生も壊し、望みも恵みもない人生を過ごすだけだ。それはおれにとっても望むところではない。そこになんの意味がある。老人の世話をするためだけに、新しく人間を製造することになんの意味がある。製造された人間が不毛な殺し合いを強いられることになんの意味がある。殺し合いのなかで人間文明に進歩があったところで、それをだれが評価するのか。この世の外にはだれもいない。

そして、おれのような敗者が生きることにも生き残ることに意味も意義もない。なのに、なかなか死への一歩が踏み出せない。そのうち、生も死も夢もうつつもわからなくなって、ただただ周りに迷惑をかけるだけになるかもしれない。それで、これから生まれてくる人間を消耗させることになるかもしれない。この連鎖は、おれが惨めにひとり道端に打ち捨てられて死ぬことによって終止符を打つべきなのだ。

まず、生まれてきたことが間違いであった。まず、生まれないことが肝要である。ただ、だれかの小説のように胎児は生まれないことを選択しえぬ。選択もできずに最初にして最大の苦を背負わされる。これはあまりにも残酷じゃないか、ローマ教皇はそう思わないのか? あんたは人殺しの顔をして生きているのか?

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