おれは尾崎裕哉が聴けない

 

Glory Days

Glory Days

  • 発売日: 2017/09/15
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

https://youtu.be/TCsl7AcmUd4

なんとなく『エウレカ』の新しい映画の一作目の曲よかったよな、と思った。尾崎裕哉の「Glory Days」だ。あれもなかなかいい曲だったし、ほかの曲も聴こうかと思って、アルバムに手を出してみた。

 

Golden Hour (通常盤) (特典なし)

Golden Hour (通常盤) (特典なし)

  • アーティスト:尾崎裕哉
  • 発売日: 2020/10/21
  • メディア: CD
 

グローリーデイズにゴールデンアワーだ。ほかの曲もなかなかにかっこよく、コラボしているミュージシャンも豪華で、いろいろの今どきの音楽の要素も入っているのかな。そのあたりはわからない。なかなかいい。

わからないが、アルバムを聴きながら尾崎裕哉のWikipediaを読んだり、インタビュー記事なんかを読んでいて、つらくなって聴けなくなってしまった。

尾崎裕哉になんの罪もない。ただ、おれの人生上に現れたおれにとっての尾崎裕哉は、おれにとってつらすぎる存在だったということだ。尾崎裕哉には尾崎裕哉の人生の線があって、たまたまミュージシャンとリスナーとして触れてしまっただけのことだ。尾崎裕哉には尾崎裕哉なりの地獄も苦しみもあるのだろうが、おれにはわからない。おれはおれの人生の話しかできない。

なぜつらくなったのか。曲のできばえは、さっき言ったとおりなかなかいい。問題は尾崎裕哉のバックボーンにある。あらためて言うが尾崎裕哉に罪はない。なんの過失もない。本人だってなにかを選んで、望んで生まれてきたわけではない。

しかし、尾崎裕哉は尾崎豊の息子なのである。幼い頃からアメリカで教育を受け、慶応大学大学院を出て、メジャーレーベルからミュージシャンとしてデビューしたのである。ギターを誰に弾いてもらおうかとなって、「布袋寅泰さんに弾いてもらおう」ってスマホでDMを送れるのだ。すごいな。

おれはといえば社会の底辺を這って、年収も三百万円に届かず、コロナ禍でさらに危機に陥り、このごろはほとんど毎日のほとんどの時間をどうやって死のかという思いにとらわれているような人間である。頼れる親も親戚もなければ、自分に技能や資格、学歴があるわけでもない。後者に関してはおれが何も考えてこないで生きてきて、努力も何もしたくなく、じっさいそうして、まったくの自己責任にほかならない。精神障害者になって、すべて忘れるために抗精神病薬と毎晩度数の高い酒をごくごく飲んでる。

おれはもう貧困のために死ぬしかないし、問題は、いつ、どのように、というところだ。おれは何も考えたくないし、努力も何もしたくない。自死か路上か刑務所か。この程度の障害では福祉にも頼れず、このごろ街に増えたように思う路上生活もしんどそうだし、このごろは人になにかしろと言われるのがやけに嫌になってしまって刑務所もだめそうだ。だから、どうやって死ぬかだ。おれの自殺はもう始まっている。

で、そんな人間にゴールデンアワーのグローリーデイズはきびしいのだ。なんなのだろう、この差は。もちろん、おれという人生の線に現れたおれの価値基準ではかる尾崎裕哉との差だ。かれに地獄があろうと今のおれには関係がない。どうしたら、死ぬまで生きられるような財産のある家に生まれなかったのか。大学院を出られるような賢さをもっていなかったのか。お金に換えられるなにかの才能がなかったのか。勉強する努力もできず、一生懸命働いてお金を稼ぐ努力もできないのか。

そう考えると、おれにはどうしても尾崎裕哉が聴けないのだ。グローリーデイズは名曲だ。ほかにもいい曲はある。けれど、聴いているとつらくてどうしようもなくなってしまう。抗不安剤を飲まずにはいられない。もっとも、もうこの頃は尾崎裕哉を聴こうかが聴くまいがたくさん食べているのだが。なんだか、効きが悪くなってきたような気もする。夜も眠りにくい。ゾピクロンも20g飲まないとまったく効かない。おれのような人間が聴いていい音楽ではない。おれはそう思った。尾崎裕哉に罪はない。尾崎裕哉はたくさん努力してきたのだろうし、いいやつなのだろう。ただ、おれのような人間が生まれてきてしまったことが悪かった。世界に対する罪のように思える。おれにはこの世の人間の価値のすべてである金を支払う能力というものがないし、銀行に借金している赤字の会社勤めということは、この世から必要とされていないという証だし、生きる価値がないと世間からみなされているということだ。なにより、おれがおれに生きる価値を見いだせない。おれはいつまで苦しめばいいのか。おれが決めなきゃいけないのか。面倒な話だ。