『頭のいい人が話す前に考えていること』を読む。ってか、おれって頭のいい側の人間じゃん?

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先日の続きで、こちらの本から考えたこと書くけどさー。

 

 

まず、基本的におれって頭がいいじゃん。あ、そう見えない? でもさー、どちらかっていうと、おれは頭のいい人間とそうじゃない人間に人間を分けたら前の方に属する人間だよなって思ってんじゃん。おれはさ、思ってるわけさ。精神は病んでいるけど、頭は悪くない、むしろいいくらいだって思うのよ。

でもさ、たぶんだけど、世の中の多くの人間がそう思って生きてるんじゃねえかって思うわけでさ、そりゃまあ「ああ、おれにはかなわん」と思う人間もたくさんたくさんいるじゃん。でも、そういう人に限って、「おれって頭いいじゃん?」とか言わねえし、態度にも出さなかったりする。

やばい、人間の格の違いを感じる。おれは頭悪くないはずなんだけど、頭がいいふりというか、そう思い込んでる頭の悪くて、頭のおかしいやつなんじゃねえかって気がしてくる。でも、精神も病んでいて、背も低くて、金もなくて、さらに頭も悪いです、っていうのは救いがないから、ちょっとは頭いいような気になりたいじゃん。せめてそう思いたいよな。高卒のくせにな。

でもって、おれは頭がいいから、ふつう『頭のいい人が話す前に考えていること』ってタイトルの本は読まねえな。だって、おれ、頭のいい人だから、話す前も話す後も頭がいいから、読む必要ないよなってもんよ。頭のよくない人はいろいろ考えなきゃいけないから大切だなってもんよ。でも、献本いただいたら、そりゃ読むよな。

はい、だめー。自信消えたー。そんな自信なくなるー。

いやね、書いてあることはよくわかるんだ。わかりすぎるくらいわかるんだよ。こう言ってはなんだけれど、これはもう『論語』の時代から士大夫にとって大切なこと、ひるがえっては、そこらへんの会社の上司としてのありかたとか、そういうところに通じる話であって、そういうもんよな、と思う。そこに、現代の科学の根拠とかあって、そりゃ強い。

でもな、根本はやっぱりその、人としてのあり方になるわけでさー、おれみたいに、「おれって頭のいい人だなー」とか思ってることの「頭のよさ」なんてもんはしょうもないもんだよな、とか思うんよ。

上のシートは「読み返さなくていい本を目指しました」の結果の一つとしてついてるもんだけどさー、ほんとに読み返さなくても空欄を埋められるくらいにわかりやすいんだけどさー、それを実行するってのはどんだけむずかしいのかって話になっちゃう。

そりゃあね、おれはね、言語化というのはちょっと得意かもしれないけど、そんなのは、ちょっとそれだけでどうって話になるもんでもねえんだよな。なんつーのか、人間としての信頼性というか、徳のようなものよな。徳、誠、そういうもんがねえんだよな。だから、自分で自分のこと頭がいいとか言っちゃうのね。

そんでもってね、上の穴埋めのを二つだけ紹介させてもらうとね、「人と闘うな、課題と戦え」ってのがまずね、これね、もうね。ところで、コンサルタントは「問題」と「課題」についてどのように区別しているかって話もおもしろかったけど、そのあたりは本読んでくれ。まあともかく、論破したー、勝ちー、おれ頭いいー、じゃ、なんにもならねえのな。でも、おれはおれが頭がいいと思ってるし、人を言い負かすことにまず思考が走ってしまう、なんつーか、嫌なタイプのやつじゃん。人の話聞かないじゃん。なんなら三割くらい聞いて、もう相手の結論を想像して、それに対する反論用意しちゃってんじゃん。おれねえ、おばあちゃんにも小学生のころ言われたよ、「黄金頭ちゃんは頭がいいから人の話をわかった気になって最後まで聞かないところがあるねえ」って。おばあちゃんも頭よかったからなー。見透かされているんだよなー。そうなんだよ、人と闘っても虚しいものが残るだけよ。しかしまあ、そのね、「とにかく相手の言うことを否定するモード」への入り方は、父親の影響が大きいよなって今も思う。父親も頭だけはよかった性格破綻の人間だったけど、手ぐすね引いて待ってんだよ、反論で言い負かすのを。これを、子供相手にもやるもんだから、こっちも負けるかってなって、ガリガリやり合うような感じになんじゃん。でもね、母親なんか最初からそういう人間だってわかってたから、もう相手にしてなかったよな。そっちが本当に頭のいい人間の態度だな。なんだ、おれの一家頭のいい人間だらけだな。なんで破産して一家離散なんてしてんだ? ああ、ああ本当に頭のいい人間がいなかったからだ。

そんで、もう一つがね、これがね、もう話したことにもつながるんだけど、「知識はだれかのために使って初めて知性となる」。これよな。また父親の話になるけど、父親の知識はすごかったと思うよ。洋の東西を問わずすごい量の本を読んで、弁も立つし、文章もうまい。でもねー、人のために使えなかったねーって思う。残念な人だった。そしておれもね、知識はそんなにないというか、まあねえんだけど、あったとしても、人のために使っているかっていうと、なんかあやしいというか、人とのコミュニケーションがそもそもあんまりねえし、やっぱりこう、残念な人なんだよなー。おれはもとから高卒の底辺だけど。

というわけで、AIとか進歩してきて、どんだけ知性の質を高められるかってのが人間に求められるようになってきてさー、まず人間としての信頼性、徳、これは生きるうえで必要だろうしってのはまずあって、それがこの本でいう「頭のいい人」のありようであって、そうなんだろうな。そんでもって、もうおれにできるのはなにかといえば、人間ならではの言語化、これやるしかないじゃんって思うんだけど、そもそも土台がねえところでそんなのは意味ねえかもしれない。つーか、今のおれに知性があったとしても、知性の使いどころがあるのかってのがまず重要だ。そこんところ、もうだめかもしれんので、時間を遡ったりして小学生のおれにこの本読ませるしかねえな、ほんと。書いてあること実行できてりゃ、人に嫌われたり、いじめられたりもしなかったかもしれねえし、まともに大学卒業できてたかもしれねー。もう遅いがなー。うーん。そんなところ。