はい、こんばんは。季節の変わり目いかがお過ごしでしょうか、花粉症ではないといいはる男、黄金頭です。
さて、春三月、世間ではなにが話題になっていますでしょうか。7万4千円の接待ですか? あんなのは、まだまだ甘い。答弁でこう答えてやりゃよかったんです。
「74万円なら記憶の片隅に残ったかもしれませんが、7万円では大事ではありませんので、まったく覚えていません」。
これ、このくらいやってほしかった。そうしたらもう革命ですよ。打ちこわし、米騒動です。で、米騒動になったら、東北の方の新社のキングがこう言うわけです。「国民のみなさん、ササニシキ贈るなりー」。それでわれわれはね、アルマイトのお椀を持って近くの公園に並ぶわけです。米を与えれば民意は安定するってもんですからね。
それでですね、7万4千円の人はですね、豊洲市場で三日働いたあの人と組んで、むっちゃミシュランチックな飲食店とか開業するべきですね。人生をかけているグルメですから、そりゃあうまい。うまいけどコースは74万円から。もちろん、新鮮な奈良公園の鹿を出汁に使ったスープとか出ますんで。
では、このあたりで一曲。Chumbawambaで「Amnesia」。
さて、今週のはてな匿名ダイアリーコーナー、いってみましょう。このあたりが話題になっています。
差別と表現、内心の自由、むずかしい問題ですねー。ここに高卒低学歴の自分が理論武装もなく裸で突撃したら、そりゃもう丸焼けもいいところです。でも、あえて突っ込むのも人間の死に様いうものなんで、ちょっと突っ込んでみます。熱いわー。
で、どうもなんというか、全体的な印象っていうと、これはまたもう、いい加減な話なんですが、べつにいい。言ってしまえば、なんかみんな縛られてんなーって感じがして仕方がねえっていうか。
自縄自縛というのかどうかわからんけど、法律であるとか、社会の規範であるとか、自分が勝手に定めた、そういった、なんつーのか、大きなもの、あるいは絶対のものに、がんじがらめになりすぎてんじゃねえのかって話なんですよ。
嫌う自由も言う自由もある。それどころじゃないんですよ、ここだけの話。繁華街を全裸で踊り狂うのも自由だし、斧でもって老婆をぶっ殺すのも自由だし、奈良公園で鹿を殺すのも自由。それはもう自由なんだよ。法律の前に人間があるのではなく、人間の前に法律がある。あ、違う、逆だ逆、法律の前に人間がある、これだ。
そうだ、べつに法律なんてものはおまえを縛るものじゃない。ヘイトスピーチだって言い放題だし、吉野家のサラダも無銭飲食し放題、道行く人間だって殺し放題。
え、そんなことは許されない? でも、べつにそれをやろうとして、法律の念力できみの手が押さえつけられるってのか? 社会規範の法力で足が動かなくなるってのか? 口を塞がれるってのか? そんなことはねえだろ。人間、人殺しになるのは簡単なんだ。それを妨げるのは自分自身しかねえんだ。
だいたい、みんな、他人が憎くてしょうがないだろう? 人間、憎しみあって生きてるんだ。それこそ、皆殺しのメロディが流れてくるくらいに、この世の中の人間みんなが嫌いあっているし、できることならぶっ殺したいと思ってる。それが人間社会ってやつだ。不快感の骨組みに憎悪の壁を積んだのが人間社会だ。それは間違いない。
でも、一方で、人間殺し合って、最後に生き残る人間がだれかしらんが、まあ、気づいたら地球上に人類が一人でしたってなってないんだよな。人間、地球上にうじゃうじゃいる。……え、いるよな? おれ以外はみんなAI?
あ、変な妄想退散。そうだ、それには、あれだ、やっぱり法だな。「え、さっき法の前に人間があるって言ったじゃないか」って?
いや、そこはあれなんだ、法律は値札みたいなもんで、盗んだらいくら、犯したらいくら、殺したらいくらって書いあんだよ。それで、この値段、まあつまりは罰金だの、刑期だの、死刑だのには釣り合わねえなって、実行に移さないでみんな生きてんだ。けなげで、えらいよ、大多数のわれわれは。あるいは、自分の財布の中身をよっぽど貴重なもんだと思っているのか。そんなんで社会のバランスは取れてんだよ。
なかには、「この値段なら買いだな」ってなんかやっちゃうやつもいるし、そもそも値札の読み方を知らないやつもいる。不幸だね。でも、たとえば「赤信号を渡っちゃおう」とか、ちょっとした買い物はみんなしてんだけどな。
では、ここで一休み、サニーデイ・サービスで「春の風」。
それでまあ、何だっけ? 差別か、差別の話か。おれはあれだ、ヘイトスピーチってのは基本的に暴力だと思う。いわゆる学校の先生とかが言う「言葉の暴力」ってのは、まさにそうで、それは暴力だ。下手すりゃ身体的な暴力よりひどいことになるのが言葉の力だ。だから、ヘイトスピーチで最初に殴ったやつは、殴り返されても仕方がねえんだ。むちゃくちゃ嫌われるかもしれねえし、あるいは、司法の値札でそれなりの買い物をしちまうってわけだ。それには値札がぶら下がってる。ちょっと前は違ったかもしれないけど、今はぶら下がってる。過去は法律によって未来を繋縛するとクロポトキンは言っている。
でも、あらためて言うけど、暴力をふるいたければふるう自由はあるだろって話だ。人間原始の自由だ。「法律で罰せられるからできませーん」ってのは泣き言だ。べつに法律には「殺すな」とは書いてない。律法とは違う。なんの神も禁じてはいない。ただ、法律には値段が書いてあるだけだ。それだけのものを払う覚悟でやるのを、未知のパワーが制止することはできない。やりたけりゃやれ。
ただし、そうしたら、お前は罰を買うことになる。人間と人間の間において、おまえがそれだけに見合った仕打ちをうける、それに見合った扱いをされる、それに見合った視線を向けられる。それだけのことだ。それで泣き言を言ってもいいが、だれかが聞いてくれるとは限らない。聞く耳持たれない。菊水のふなぐちはアルコール度数が高い。
って、その値札の数字が気に食わない。そもそも値札としてぶら下げるべきじゃねえって考えもあるだろう。それもまた問題になる。おれはそれも否定できない。これはちょっとおいておきたい。
ただ、値札は、人間の持つそもそもの無限の射程を持つ絶対的な暴力に比べたら、いかにもか弱く、曖昧で、時間とともに変わってしまうものだ。
でも、それがなきゃ面倒くさくて生活も成り立たない。いちいちその場その場で、たとえば猫を虐待したやつの罰をどうしようって考えるのも面倒だ。そこで法律の登場ということになる。って、こういうのをなんとか法っていうし、そうでないのもなんとか法っ言うんだろうけど、おれは無知だからわからんけど、まあ、それでも相場ってのは決まってるわけだ。素っ裸で捕まり死刑はねえじゃんってところで落ち着いてる。いや、素っ裸で死刑になる国もあるかもしれないので、責任は持てない。
ようは、なんだ、あんた、あんたはおれを殺したいと思っているし、おれもあんたを殺したい。でも、いちいちそれやってたらきりがねえし、おれだって週末の弥生賞でダノンザキッドの強さを見極めたい。
そこで、それなりに人間同士が暮らしていける、自分の暴力的な自由を制限しつつ、他人の暴力的な自由も制限された世界を、まあ、なんかあったら絶対にぶっ殺すけど、とりあえずは殺さないでおこうって世界を、われわれは生きているわけだ。法律は神が与えたものでも伝説の立法者が授けてくれたものでもないが、われわれ社会がそれなりに成り立つための一歩一歩の確認の証、合意点だ。その価値は小さくない。だが、それ以上の価値はない。
殺すと言ったときは終わってるってのは、まあそれもそういう世界だ。わかるかペッシ。
夜、うちのアパートの前で二度、三度「がーっぺっ」と大きな音で痰を吐く男がいるので、その都度ドアを半開きにして、片手に持った包丁を、カンカンいわせている。先に切れるのはどっちだ?
— 黄金頭 (@goldhead) 2021年2月16日
おれのアパートの前で痰を吐く男は、このようなところに住むような人間にはそのような価値しかないと思っているのだろうし、殺してもいいと覚悟しているのだろう。ならばこちらも同じく殺す覚悟を持っていること、実際にやる覚悟を示さなければ釣り合いが取れない。向こうも殺される覚悟があるはずた。
— 黄金頭 (@goldhead) 2021年2月16日
自分を殺そうと覚悟を決めている人間がいるのに、その人間を殺す覚悟を持たない理由はない。
— 黄金頭 (@goldhead) 2021年2月16日
絶対にやらなければおれの面目が立たん。
— 黄金頭 (@goldhead) 2021年2月16日
わからんかペッシ。そこでだ、そこで、やっぱり、「奈良公園の鹿をラーメンのスープにするためにぶっ殺すのは罪ですか」、「海は死にますか」、「ヘイトスピーチは罪ですか」って疑問が出てきちまう。これは、語り合わなきゃいけない。その価値観は時々刻々と変わるし、行くかと思えば戻るかもしれない。そっちは人間の暴力に比べたら脆弱だ。
「だから、その脆弱な部分について話し合ってんだよ」と言われたら、「あ、そうですか、どうぞ」ってところだ。
ただ、なんというかな、「立法された勝ち」、「法律で定められたら負け」みたいな、逆でもいいんだけど、なんかそんなに縛られるなよって、そんなことがいいたいなって思ったわけです。あるいは、その法が社会規範とかであっても……微妙なところか。でも、やっぱり嫌いだと言うのも自由だし、それで嫌われるのも自由。場合によっては捕まってしまうかもしれないけど、言うのもやるのも自由だ。
自由には責任が伴う、なんて高度なことじゃなくて、そこには仕返しが待っている。裸の人間の殺し合いだ。
それがなんつうの、人間の精神の発露ってやつじゃねえのか。もちろん、悪い、悪い発露だ。悪いが、人間は自由だ。違うか。そこだ、そこだけをおさえておいてくれたら、その上で、おもう存分値札自体や値付けについて思う存分争ってくれ。それだけだ。
それだけって無責任か? おれの旗幟を鮮明にせよというか。でも、なんかだれとだれがどういうリングで殴り合ってるのかもよくわかんなくなっちゃってるから、遠慮しとくわ。
というか、多数派、少数派という問題もあったな。おれとおまえと、せいぜいガンバリマン、いや、大五郎でいいじゃねえか、どうでもいいか、そのくらいなら人間精神の発露とか言ってられるけど、一万人対一人となったら、そりゃあ自由とか言ってられないぜ。これは不公平だ。どうする? わかんねえ。そもそも、一対一でも人間の暴力には大きな差があることもある。初撃で相手を殺すこともある。どうする? わかんねえな。
ああ、すまん、わからん。勉強が足りない。いや、勉強がない。学がない。そのうえ、おれに信じる神もなく、寄る辺となる律法もない、というところにあって、世界人類大多数の正義や倫理からコースアウトしている可能性はけっこう高い。だから、普通の人間のわかることがわからん。そんなん、おまえに言われんでもわかっとる。
おれだけ論点の軌道から大きくはずれてしまったような気がする。さようなら太陽系。というか、おれの考えは、ようやく人類が森から出てきて畑を耕し始めたあたりなのだろう。アダムがイブを耕していたとき、だれが奴隷だったか? 人新世に追いつくまで、あと何世紀?
おっと話が長くなった。それではごきげんよう。
最後に一曲。Lou Reedで「Set the Twilight Reeling」。
https://www.youtube.com/watch?v=7FX2T-bszCI