45歳になりました

 

おれの誕生日は2月22日である。そんな個人情報さらしていいのかという話もあるかと思うが、おれのなかではべつにさらしてもいい情報である。

 

おれは、つきじ海賓から出前で二人前の寿司を注文した。ピザに飽いたおれに残されていたのは寿司だけだった。

 

おれは寿司を食った。なるほど、「寿司はピザに比べて祝祭感が足りない」と言ってくれた人は正しかった。久しぶり(去年、金沢に行って以来?)の寿司は寿司でうまかった。しかし、脳を揺さぶるような衝撃はなかった。

 

月に一度のご褒美が寿司でもだめか……と、すこし思った。

 

 

超高級な食べ物、あるいは、油とか糖質とかの暴力。貧乏人は後者を取るしかない。というか、家で落ち着いて食べたいのだ。

 

しかし、45歳よな、おまえ。もう、人生の折返しをとうに過ぎてしまった。落ち着いた人生、安定の人生……そんなんどこにもねえよ。

 

親会社の社長から、経費(=おれの人件費)削減のため、障害厚生年金申請しろとプレッシャーがかかってきている。それを取得できた分、おれの給料を減らすという話だ。ひどく屈辱的な話のようにも思えるが、もしも障害厚生年金が通ったら、それはそれでという気持ちがある。

 

次に親会社の社長と会ったときには「自分は生まれてきてはいけなかった、存在価値のない人間であることをあらためて自覚しました。もしも年金の申請が通らなかったら、さらにご迷惑をかけないよう自殺するつもりです」と言おうと思う。

 

いずれにせよ、自殺はしなくてはいけないのだろう。

 

むごい人生だ。この時代に生きている価値のない人間が、この時代に生まれてきてしまった。なにが間違いなのか。おれに選択肢がなかったとはいえ、「親が悪い」とは言いたくはない。

 

とはいえ、親が選択を誤ったというのは事実でしかない。おれは選択を誤らなかった。生まれなかったおれの子供からの感謝を受け取りたい。

 

馬齢を重ねる、という言葉に、「なぜ馬?」という思いもある。あるので使わないが、しかしまああ、そういう気持ちは強い。おれがなにをした? なにができる? なにもできなかったし、なにもできない。

 

あと10年か、15年。そこまで、おれは屋根とシャワーのある日々を送れるだろうか。おれはこの日記で余裕のあることしか書いていないからわからないかもしれないが、実際のところ5年でもあやしい。

 

おれはこの安アパートを失い、路上に出て、惨めな思いをしながら死んでいく。それは決まっている。ほかに道はない。45年も生きて、それが末路だ。もう転職もなにもない。死ぬしかない。路上でどこまで耐えられるか。いつ諦められるか。それだけだ。

 

おれより生きる意志のある人に、人生がありますように。

 

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