春三月

春三月縊り残され花に舞う ― 大杉栄

何日か異様に暖かい日もあったが、また冬に戻ったような寒さ。それでも少しずつ春は近づいてきている。

目先の仕事はあるがその先が見えない。さらにその先はもっと見えない。この世において金がないということは最悪といっていい。「人間関係の方が大切だ」、「なにより健康な身体がなければなんにもならない」。それはそうだろう。しかし、やはり金がないということは最悪だといっていい。

中山の千八でトーセンスーリヤが最内を引いたら、これは買わないわけにはいかないだろう。父親はあのローエングリンだ。レース、スタートも悪くなかった。ただ、ハイスペースをやや早めに捉えにいったのは騎手の若さか。それにしても、上位二頭にあのタイムで走られては三着もあったかどうか。

馬券はというと、土日でけっこう負けた。負けたが一つ三連単六点買いで今年たぶんはじめての万馬券。思うに、自分の基本は単勝馬連と思ってやっていたところで、何年も回収率が百%を越えないのだから、馬券の買い方も間違ってるといっていい。ひょっとすると、少頭数のレースで点数を絞った三連単などを買うのが合っているのかもしれぬ。いや、多頭数でも。当たることは少ない。しかし、見返りは少なくない。

現実の政治を見ていてもよくわからないことが多い。いつも思うのは、この権力の元になっているものの、さらに源泉はなにかということだ。原初の権力だ。それを知るには政治学というものの基礎にあたってみなくてはならないのだろうが、あいにくおれは勉強が嫌いだ。『人間不平等起源論』を読んでみること。プルードンバクーニンクロポトキンを再読すること。まずやらないだろう。

おれはなんにもしない、なんにもしたくない。昨日の夜は、つまり二月最後の夜は、十時ごろに眠くなってしまい、薬を飲んで寝てしまった。二度ほど目を覚ましたが、よく眠れたといっていい。

しかし、自然に眠くなっているのに、睡眠薬を飲む必要があるのだろうか。飲んだ方が確実に眠れる。そもそもおれは厳密には不眠症ではない。ただ、生活のリズムを保つことが精神の病にとってよいということで、夜ふかしをしないように処方されていたのだ。問題は、それを飲むのが意識のあるおれであるということだ。

意識のあるおれは夜ふかしを好む。だから飲まない。おれの生活のリズムが安定しているとは言い難い。おれの身体を支配するところの権力はおれという意識にある。この意識の問題と、人間はずっと長いこと戦ってきた。多くの場合は敗れてきた。

眠りに関して、医師からこんな話をされたことがある。なかなか眠れない夜でも、真夜中に目覚めても、決して時計を見るな、ということだ。同じ朝七時に起きるにしても、「深夜三時まで起きていたから、それから四時間しか眠れていない」などと認識するより、単に「何時に眠ったかよくわからないが七時に起きた」という方が、心理的には楽だということだ。ただし、これを習得するにはそれなりにコツが必要だという。そしてもちろん、肉体的には四時間しか寝ていないことにかわりはない。

あるいは、昔、中学生のころだったか、生徒数人と一人の英語教師で雑談になったことがあった。「授業中に眠くなるのは睡眠不足と関係ない。話に興味がわかなければ前夜に十何時間寝ていようと眠くなるのだ」と言った。おれはその教師の授業でもよく寝ていた。

その教師はそのとき、「おれは大学院に『席』が残っているから、教師なんていつでも辞めてもいい」とうそぶいていたが、その後どうしたのだろうか。と、今この話を書いていて思ったが『席』というのは『籍』だったのかもしれない。何十年か経って、確かめようのない問いが出てきてしまうこともある。

春三月、あいかわらずおれには見えないものが多すぎる。

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