また、サンポーさんに寄稿しました[日吉編]/あるいは自由について

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また「ジモトぶらぶらマガジン サンポー」さんに寄稿させていただきました。ぶらぶらしたのは日吉で……内容は上を読んでください。そんでもってブックマークでもしてよね!

それで、上の記事で書き忘れたことが一つあったのですよね。大学一年生のころ「ひようら」(大学の反対側をそう呼んでいたように思う)の、商店街からちょっと離れたゾーンの、下宿アパートゾーンにあるサークルの先輩の部屋に何人かで押しかけたことがあったんだよな、と。その人はどこだったか、たしか関東ではない遠いところから出てきて、一人暮らしをしていたんだよ。で、そのときは二年生だったけど、「これぞ慶應ボーイ」的な雰囲気を十分身にまとっていたよな。それで、合コンとかも盛んにやって、なにやらこう……まあいい、そのとき童貞だったおれには刺激的な話をいくらか聞いたりしたんだった。そして、おれもモテるのだろうか、と思ったものだった。

が、結局のところ、おれはモテの競争からも立身出世の競争からも逃げ出して、今、このように落ちぶれている。あのとき見た先輩などは、今やマイホーム、マイカー、愛妻、そして子供たちに囲まれて、資産運用など考えながら陽の当たる場所で堂々と生きていることだろう。あるいはもう、日本などにはいないのかもしれない。

……というか、おれはおれの同級生の今を、いっさい知らないのだよな。幼稚園では学区の問題で同じ小学校に上がった人間は三人しかおらず、中学受験で私学に進んだから小学校の人間とはまったく切れ、中高六年間でそれなりに仲良くなった人間もいたが、卒業時には一人になっていて完全に関係は切れ、大学は静かにフェードアウトして周りから消失して、さらにはそれらの人々が知っているかもしれないおれの実家というものも夜逃げのようなもので失われ、おれはなんというか、完全に孤立した一個の人間になった。

過去のない人間である。どこかの国のスパイに殺され、埋められ、成り代わって生活されても、だれも気づかない。アパートの隣の部屋に住んでいるやつの顔も知らないし、知られてもいない。そういう生活だ。そういう人生だ。

そしてそれは……すばらしく自由だ。

これは負け惜しみでも皮肉でもなんでもなく、心底そう思うのだ。そりゃあ一応働いている以上、人間関係というものはある。あるが、友人のようなものが一切いないというのは、なんという自由であることか。こればかりは、本当に恵まれた境遇にあるといっていい。思えば、おれは幼稚園に入った瞬間からこの世が大嫌いになった。なにが悲しくて、他人の顔色を伺い、場合に応じて適切な態度を取り、その集団に属す一員であることを証しつづけねばならないのか。おれはそういうものに疲弊しつづけ、いよいよ大学で糸が切れた。もちろん、フランス語の活用が憶えられなかったというのもあるが、それが大きい。

むろん、それによって失ったものは大きい。大きいどころか、貧困と先の見えぬ生活によって別の疲弊を引き受け、精神を病んだ。だが、無理して大学を出て就職活動などして(ちょうど氷河期だったらしい)、一流だか二流だかそれなりの規模の会社に入ったところで、おれは今より幸せだっただろうか。こればかりはわからない。やはり精神を病んだり、自死した可能性も小さくないだろう。あるいは、自家用車くらい所有できていたのか……。

ただ、おれにとって「自由であること」というのは、なにか譲れない一線であるのは確かだ。幼稚園によって自由が奪われた日から、おれは苦しみのなかにあった。今は、その苦しみはすくなくとも霧散している。悪くない。あとは、宝くじでも当てて、生活の労苦から解放されたらなら何も言うことはないのだけれど。

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