断章は倦怠感にちょうどいい―シオラン『苦渋の三段論法』を読む

ここ何日か……と書いて、「こんなに長く感じるのに、たった何日か!」と思うのだけれど、まあともかくひどい倦怠感、鉛様麻痺、抑うつに襲われている。「襲われる」というほど派手なものではないが、ともかく身体が動かない、身体が重い。重力の偏りを感じる。ここだけが重い。これが無重力状態だったら、おれの「重さ」はどこへ向かうのだろうか。だれかおれを民間宇宙飛行に連れて行ってくれないか。

宇宙はどうでもいい。この地球の重力に魂を縛られた人間として、この地に這いつくばるしかない。這いつくばって……本でも読むか? だが、つらつらと続いていく文章を追うことができない。が、断章、アフォリズムなら読むことができる。ちょうどよく、おれの手元にはシオランの本がある。

 「どうして断章しか書かないんです」――若い哲学者が、とがめるようにいう。

 「まず怠惰のせい、つぎが軽薄かな。嫌悪感から、ともいえるし、まあ、ほかにもいろいろ」――しかし、ちゃんとした理由はあげられない。そこで私は、仕方なく、くどくどしい釈明の言葉を並べたてた。すると哲学者は、それこそが誠意ある返答と思えたらしく、すっかり納得してくれたものだった。

「忌わしき明察」

シオランの「断章」のなかでは、これでもかなり長いほうだ。おれの勝手な思い込みだが、シオランの「断章」は倦怠や抑うつにぴったりであって、それはシオラン本人が味わう体感から出てきているのではないか……。ともかく、シオランの「断章」であれば、おれはこんな状態でも寝っ転がって読むことができる。

 

E.M.シオラン選集〈2〉苦渋の三段論法 (1976年)

E.M.シオラン選集〈2〉苦渋の三段論法 (1976年)

 

 というわけで、『苦渋の三段論法』を読んだ。あまり分厚くないし、断章でできているので、いまのおれにはぴったりだ。内容が苦渋=難解、というわけでもない。苦渋には溢れているが、この世というものの核をグサグサと突き刺すようなこころよさがある。

 死んだ方がよいと思ったときいつでも死ねる力があるからこそ、わたしは生きている。自殺という観念をもたなかったら、ずっと以前にわたしは自殺していたであろう。

わりと長生きしたシオラン曰く、である。だいぶ前に流行った『完全自殺マニュアル』のような本でも、いつでも自殺できるということで、逆に生きる糧となる、というようなことが書かれていた。死をポケットに入れて。

 旧約聖書の世界では、ひとは天帝をおびえさせることができた。ひとは拳で天帝をおびやかした。祈りとは造物主と被造物との口論であった。福音書が出現して両者を和解させた。そこにキリスト教の許しがたい落度がある。

おれはキリスト者ではないし、キリスト教にもくわしくないが、こんなのもおもしろい見方だろう。もちろん、西洋のキリスト教社会でこの言葉がどのように響くかは想像できないが。ところで、なんとなく、天帝とか拳って『北斗の拳』っぽい。

 もしノアが未来を読みとる才能に恵まれていたなら、間違いなくかれは方舟の底に孔を穿けて自沈していたにちがいない。

また言ってるよ、というのもなんだが、シオランの絶望は歴史の始まりともにあって、すべての果てに自身がいる。それを変奏している。そして、人類は破滅するべきだという。シオランは未来を読みとっている。

 すべてを理解したと信じた瞬間に、われわれの顔は人殺しの相貌となる。

「私たちがこの地上にいるのは、互いに苦しめあうためだ。ほかになんの理由もない」といずれ記す人間の言うことである。おれはすべてを理解したわけじゃないが、この社会で人間は人殺しの顔をするべきだと書いたことがある。

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 自殺への傾向こそ、法を遵守する臆病な人殺しの特徴である。かれは他人を殺すのを怖れるあまり、わが身を無きものとすることを、罰を受けないですむ確実な手段として夢想するのだ。

そうだ、そして、おれは臆病な人殺しだ。だから、希死念慮を抱く。歩いていたら、いきなり歩道にダンプカーが突っ込んできてくれないかと思う。眠りについたら、身体のどこかがうっかりミスを起こしてそのまま死ねないかと思う。やがてはもっと自発的に、意識的に、自裁せねばならないと思う。金がなく食うところも住むところもなくなるは目に見えているし、そうやって飢えて死ぬよりはいくらか楽だろうと思う。生きるのは辛い、死ぬのも怖い。とはいえ、生きることの辛さがある閾値を超えたら、死ぬほうが楽だろう。

 死がバラ色に見えない人は心臓が色盲なのだ。

 

 

 

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