祖母の火葬式

goldhead.hatenablog.com

 

祖母が死んだ。

人間は死んだらどこに行くのか。その答えについて基本的な仏教ならば「無記」の二文字で足りるかもしれない。そして、いろいろな宗教や思想によってその答えは千差万別であろう。

しかし、死んだ人間の死体はどこへ行くのか。その答えについては形而上的に済ますわけにはいかない。不幸にして死体が見つからない、というケースもあるだろう。しかし、ここで取り扱うのは病院で死んだ96歳の人間の死体はどこへ行くのか、という極めて具体的なケースである。

具体的な話として、まず病院の霊安室に運ばれる。そして、葬儀社によって死体を安置する場所へ運ばれる。そして、しかるべき手順を経て、死体は火葬される。

しかるべき手順……。ここは現実的にもいくつかの答えがあるだろう。お通夜をする、お葬式をあげる、など。しかし、祖母は通夜も葬式も一切不要と言い切っていた人間である。人間が、嫌いなのである。儀式も儀礼も、嫌いなのである。そのうえ、式を行おうにも、祖母はもう96歳を過ぎており、親類などもあまり生き残っていない。孫の一家やなにかはというと、おれと弟は絶賛未婚の中年であって、今後できる予定すらない。その上、我が一族には立派な葬式をあげる金がない。

というわけで、家族葬家族葬の中でも一番簡易な「火葬式」ということになる。となることは、おれの知らないところで母が話を進めていたのである。前回の記事で「病院の出入りの葬儀社」などと書いたかもしれないが、実のところ母がすでに手配していた葬儀社なのであった。おれはそれを知らなかった。

横浜・川崎の葬儀 ダビアスリビング 家族葬

「式を行わずにシンプルに見送り」。これである。14万円~。悪くない。が、実際に見積もられた金額、支払う金額はいくらであったか。44万円である。それを聞いたおれは「ぼったくられてんじゃねえの?」と思わず言ってしまった。だって、それって、そこの一番上のプランのベース金額より高いじゃないの。

が、母と同席したおれの弟の説明によるとこうである。「火葬まで最短5日必要である。この暑さではエンバーミングが必要だ」とのこと。

たしかに、そう言われると逃げ道はないように思える。「じゃあ家に連れて帰ります」と言って、連れて帰ったところで、どれだけ部屋を冷やして、どれだけドライアイスかなにかが必要なことか。そもそも、それでうまくいくかどうかもわからない。それは、素人にとってたいへんなプロジェクトであり、そうとうのストレスがかかることになる。かといって、「どうなってもいいので普通の冷蔵保存でいいです」とも言えないだろう。こっそり、そのまま庭に埋めてしまうわけにもいかないだろう。

弟によれば、母も「20万円ですか!」と驚いて口に出したらしい。なにせ、基本料金を上回るのだ。しかしまあ、説明を聞いて受け入れた。ただ、そのあと提案されたオプションについてはすべて「いりません」で貫いた。そういう話だ。

というわけで、少し暑い9月の終わり頃に病院で死んだ96歳の人間が5日ほど安置されたうえで一番簡単な火葬式、家族葬を行う場合、40万円はかかる……こともある。もっと寒い時期だったら話は別だったかもしれないし、火葬場の空き具合によっても変わるだろう。ともかく、人間死ねば金がかかる。そういうことだ。もちろん、いろいろ面倒な手続きなどもしてくれるのだから、そのくらいかかって当然なのかもしれない。

f:id:goldhead:20190927190216j:plain

そうして、おれは100円ローソンで黒ネクタイと黒いソックスを買った。準備は万端だ。ただ、おれと父の仲が悪いので、おれが行かないという可能性もあった。結果、父が「わしは一緒に暮らしていたから行かない」ということで、結局、病院に続いて、自分の母の亡骸と対面しないことを選択した。

代わりに……といってはなんだが、おじさんが来ることになった。おじさんは父の双子の弟で、重い身体障害と、軽度もしくは中度の知的障害を持っている。今はわれわれと離れて、施設で暮らしている。おれがおじさんと合うのは、一家離散して以来20年ぶり……ではない。

感傷と追憶の昭和史〜リアル大正野球娘に聞く〜 - 関内関外日記

このときに顔を合わせているので10年ぶりだ。母が車で迎えに行った。おじさんのいろいろの行政的な手続きや、施設とのやりとりなどもすべて母がしている。おれは父という厄介者に加え、生前の祖母と叔父のいろいろなことをほとんど母に任せてしまい、わりと後ろめたく思っている。

して、おれはいつ以来かわからない喪服を2着引っ張り出してきて、「どっちも同じくらいの厚さで今の時期にどう選んでいいかわかんねー」などと思いつつ、着心地が楽な方を選び、新品のネクタイとソックス(合計216円)を身に着けた。そして法事のときしか履かない黒い靴を履いた。たぶん、ドンキで買った靴だと思う。数珠は部屋のどこかをあさったら出てきた。耳たぶにピアスはしないが、軟骨の二つのピアスはいったん外すと着けるのが面倒なのでそのままにした。まあ、べつにいいだろう。そのわりには、「3つボタンの場合は上の2つをとめて、下1つ外すのか」などと携帯端末で調べたりはした。

母が車で迎えに来る。10年ぶりに会うおじさんは……はげていた。正味な話、第一印象がそれだったので勘弁してほしい。おれの母系の親戚男性はふさふさのまま白髪になる人が多いが、どうも父系は……。

それはともかく、おじさんは非常に温厚な性格の人である。人間の嫌な部分は、気性が荒く、他人に嫌な気持ちを抱かせることにかけてはそうとうなレベルにある父にすべて譲り渡してしまったかのような人である。その印象も変わりがなかった。歳をとって、よりその印象が強くなったようだった。毒気を抜ききったリリー・フランキーのような。

母、おじさん、おれ、弟、この4人で、まずは死体が安置されている葬儀社へ向かった。葬儀社は祖母が亡くなった病院の近くだった。また、祖母の顔を見た。また、おれは、「誰?」と思った。少し顔がやつれてからの生前の祖母の顔を見ていない上に、死に化粧が施されているので、またもやそう思ってしまったのである。お線香をあげて、それから、棺桶に花を入れ、それから霊柩車に棺を運び入れたりした。葬儀社の人たちはみな感じがよかった。

だれか一人、霊柩車に同乗することになった。普通は喪主らしい。だが、喪主である母(あらためて言うが、故人である祖母から見て母は義理の娘である)は運転手でもある。おじさんと弟は自動車の免許を持っていない。おれは20年くらい運転していないペーパードライバーである。結果、おれが霊柩車に乗ることになった。霊柩車に乗るのは生まれて初めてだった。

霊柩車の助手席に乗る。シートベルトをしめる。運転手さんに「よろしくお願いします」などと言う。車が発進する。とくに話しかけられなかったので、おれも話さないことにした。おれは人見知りだ。

と、車内に、妙な音楽が流れていることに気づく。なにか、オルゴールというか、ハンドベルというか、そういう音楽がしゃらんしゃらん流れている。スピリチュアル音楽だろうか。「霊柩車とはこういうものなのか」と思った。

が、しばらくして、そのメロディに聞き覚えがあることに気づいた。「ん? ふーん、ふふん、ふふん、ふん……ミセス・ロビンソン?」。すると、しばらくしてあからさまな「サウンド・オブ・サイレンス」が流れてくる。なんや、サイモン&ガーファンクルのアレンジCDやん。理由は不明。

そしてもう一つ、「霊柩車とはこういうものなのか」と思ったことがある。冷房がガンガンに入っているのだ。それは、遺体を積んでいるのだから、そうなのだろう、たぶん。ただ、目に直撃したので、すこし痛くなるくらいだった。とはいえ、これは涙を浮かべるような遺族の目を乾かすという役割があるのかもしれない。想像だ。

しばらく走って、運転手さんが広い道で車を停めた。

「着いてきていますかね? ちょっと待ちましょう」

母の運転する車が着いてきていないということのようだ。そりゃ、こっちは葬儀社の出口からすぐに道に出たが、向こうの御一行は道路を渡って駐車場に行き、そこから車を出したのだから差はつくだろう。それに、母はカーナビで火葬場をセッティング済みで、出る前に霊柩車の運転手さんと道順を話していたし、経路が違ってもたどり着かないことはないはずだ。母の方向感覚や運転技術に今のところかげりはない。

「カーナビで違う道来てるかもしれんですね」

現地集合で……などと言っていたので、そんなことを言った。すると、運転手さんがバックミラーを見て、「あれ、あの白い車……?」などと言う。振り返る。後ろの赤信号待ちの車、なるほど、あの白い車っぽい。が、おれの視力ではナンバーまで見えない。運転手さんにナンバーを伝えるが、そこまでは見えないという。おれは携帯端末で弟に電話をかける。

「もしもし? ひょっとしてこっち見えてない?」

「え? あれ、あの停まってるやつ?」

「おう、それ、オーケー」

というわけで、それからは霊柩車の真後ろを母の車がぴったりとつけて火葬場まで行くことになった。火葬場には早く着いた。「道が空いていて早く着いたので、前の方が終わっていないかもしれません。少しお待ちいただくことになるかもしれません」とのこと。母は霊柩車の運転手と道順について話していた。母はなぜかしらないが道路の話が好きだ。

しばらく、ロビーで待つ。横浜市南部斎場。横浜市鎌倉市のひと気のない市境あたりにある。立派で広い。この斎場に待機している葬儀社の女性に引き継がれる。なにか、自宅用の簡易祭壇セットのようなものを持ってくる。火葬が終わったら、設置に行くという。これを、母と弟は断った。「急な入院からバタバタしているうちに亡くなりましたので、部屋が片付いていないもので」。すると、葬儀社の人は箱を開けて、簡単に組み立て方を説明した。四十九日経ったら、自治体の区分に従って処分してください、と言った。わりと大きな箱なので、待ち時間に弟が車まで運んだ。そのとき、葬儀社の女性も同行して、「お気持ちの整理がついていないのですね」などとと言われたらしいが、弟は内心、「いや、実際に部屋の整理がついてねーの」と思ったらしい。

そして、いよいよ、祖母の火葬の番が来た。いや、その前にまた焼香とかしたのだっけな。まあいいや。ともかく、祖母の火葬部屋は一番端っこの一番だった。祖母は端なら端を好むような人間であったので、いいところを引いたな、と思った。ドアが開いて、ストレッチャーがセットされる。焼き場に棺桶だけ送られれる。扉が閉まる。係の人が礼をするのに合わせて、礼をする。なにかこう、今日は葬儀社の人や係の人が礼をするのにあわせて礼をしたり、手を合わせてばかりいる。スイッチが入る。

われわれは、祖母の死骸が完全に焼かれるのを待つ。1時間から1時間半だという。水分を多く含んだ人間の身体を骨にするというのはかなりの火力が必要だというが、30分の誤差というのはどのあたりから出るのだろうか。というか、人が具合を見ることはできないのだろうから、機械が測定するのだろうか。奥深い。

で、待ち時間、暇である。はじめは、祖母の話などした。おれの知らなかった話では、祖母が昔NHKの作詞コンクールのようなものに応募して、銀賞だか銅賞を獲ったという。そして、それを坂本九が歌うことになった。が、実際に録音する前に、プロの作詞家の手が入った。その歌は発売もされたが、祖父だか父だかが、印刷された歌詞カードに手を入れて、祖母のオリジナルに戻したという。母曰く、祖母のオリジナルのほうがずっといい、ということだった。おれはまだそれを見たことがない。聴いたことがない。ただ、おじさんはレコードを聴いたことがあるという。検索してみるとたしかにあるが、たしかなことなのでここでは曲名を伏せる。

また、坂本九が歌うということで、そのころ広島に住んでいたので、中国新聞の記者が取材に来たという。「賞金(印税?)はなにに使いますか?」と聞かれたので、祖母はそのころなにか大きな文学賞を獲った小説家のインタビューの真似をして「お米とお野菜を買います」と答えたらしい。ところが、記者はそのハイコンテクストが伝わらず、そのまま記事にしたため、「これじゃまるで私が貧乏みたいじゃない」と嘆いたそうである。いや、伝わらんだろ。

と、そんな話だけで1時間は潰れない。ひどくくだらない話もした。が、暇、だ。弟はiPhoneマリオカートのゲームを落としてプレイし始めた。母もスマートフォンで上海を始めた。おじさんはすることがない。ここでおれがまたゲームでも始めたら、なにかのけもののようで悪い、おれはなにもしなかった。

弟が喫煙所に行くタイミングで、何年かぶりのタバコでも恵んでもらおうかと思っていたら、弟は電子タバコに移行しており、なおかつ「電子タバコで喫煙所に行く主義ではない」などと言う。

おれは用もなく、「ちょっと歩いてきます」といってロビーを離れた。館内は撮影禁止と貼り紙にあった。さらに、「職員に心づけなどは絶対にしないでください」などとあった。そういう時代もあった。今もあるのかもしれない。おれは外に出た。が、自動車が入ってくる狭いスペースがあるくらいで、とくに見どころもない。もっとも、見どころのある斎場というのも聞いたことはないけれど。

f:id:goldhead:20190927190254j:plain

館内撮影禁止だが、外観はいいだろう。そして、この写真を宜保愛子が見たら言うだろう。おばあさまの霊が写っています、と。いつの時代だ、宜保愛子

そんなんで時間を潰して、またロビーに戻ってだらだらしていたら、館内放送で名前を呼ばれた。葬儀社の人が来て案内される。まずは焼き場。扉が開いて……いや、開いていたかな、祖母の骨と対面する。思っていたより、残っていた。というのも、おれは今まで父の父、母の父、母の母の火葬に立ち会ったが、パーキンソン病を患っていた父の父などあまり骨の形が残っていなかったように思うからだ。それにくらべて、96歳まで生きて、まだ図太く骨が残っているじゃないかと。

そして、例の二人がかりで骨を骨壷に入れる儀式などがはじまる。たまたまの並び順で母と弟、おじさんとおれ、という組み合わせになる。おじさんは二人がかりというのがよくわかっておらず、次々に大きな骨を骨壷に入れようとする。おれは慌ててその骨に箸をつけるが、うまくいかない。あきらめて、おれも一人で骨を入れることにした。

そんな様子を見てかどうかしらないが、「このあとはこちらで」と係の人。そして例の骨講座が始まる。

「これは、肩甲骨です」

「まあ、そうですか、立派に残って」

「これは、下顎の部分です。歯の形が残っています」

「はあ」

そして、一つの骨をわれわれによく見せてこうおっしゃる。

「これは喉仏で、正確には喉ではなく……。この形が仏様のように見えます。これがしっかり残っているのは、この火葬場でも2割くらいです」

「まあ、すごい」

まあ、すごいじゃないか、おばあちゃま。最後までなんらかの気位の高さと芯の強さ、そしてちょっぴりのサービス精神を見せてくれたんじゃないのか。葬儀社の人も言ってたぜ、「写真に撮りたいくらい立派な喉仏でした」って。撮影禁止だけどな。

そしてわれわれは母の運転する車に乗って火葬場を後にした。おじさんを施設に送り届けたあと、母子3人でロイヤルホストに行った。母子3人は精進落しなど気にせず肉を食った。おれはビールを2杯飲んで、ビール代だけ、べつにいらないという母に押し付けた。昔住んでいた鎌倉、西鎌倉にもロイヤルホストがあって、おれはロイヤルホストのイタリアンドレッシングが大好きだったのだけれど、今はもうなくなっていた。

食べ終えると、外に出た。知らない間に、外は暗くなっていた。母の運転する車は、横浜を北に向かって進んでいった。後部座席のおれの左には、きちんとシートベルトをした祖母が座っていた。

f:id:goldhead:20190927190327j:plain

あ、紹介が遅れました。

祖母です。

 

 

 

以上。