『断片的なものの社会学』を読む

 

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

物語は、「絶対に外せない眼鏡」のようなもので、私たちはそうした物語から自由になり、自己や世界とそのままの姿で向き合うことはできない。しかし、それらが中断され、引き裂かれ、矛盾をきたすときに、物語の外側にある「なにか」が、かすかにこちらを覗き込んでいるのかもしれない。p.62

社会学の本なのかどうかと言われると、おれにはどうなのかわからない。おれは高卒なので社会学もよくわからないし、社会学でないものもよくわからない。ただ、この本に記述されている「社会学からこぼれ落ちていくなにか」ならわかるような気がする。いや、わかりはしないが、見覚えがあるといっていい。それは、この著者もそうするように、なんでもない他人のブログを読んだりするときに感じる、なにか。沖縄の人から聞き取り調査をしていたとき、いきなり飼い犬が死んだというような、なにか。

人間というのはそれぞれの物語のなかにあって生きているのは確かだが、理不尽にも思えるなにかに中断されたりもする。なにもとくべつな、大きな事件ということではない。とつぜん熊が出た(聖おじさん)、とか、ちょっとした聞き違いとか、そんなものである。そんなものがなければ、かえって人間生きてるって気がしないぜ、というところがある。

これは、そんな本だった。なにか、小説のようであり、エッセイのようであり、あるいは社会学とやらの学問の領域を拡張するもなのかもしれなかった。それでもおれは、「こんな話、いくらだって読んでるぜ」という驕心のようなものがどこかにあった。あるいは、「こんな話、いくらだってブログに書いてるぜ」と。どれにしたっていいが、どれにしたって中途半端だぜ、というところだ。それでも、妙な魅力があるのは、その中途半端さにふわふわ浮かんでいるようなところか。うん、独特の視座はある。だけどそれは、それこそはてなダイアリーなりはてなブログでも読んでいれば、お目にかかれるもんだぜ、という気がしたのである。おれ、はてな褒めすぎだろうか。まあ、そういうことがあってもいいだろう。以上。