こどものころは一、二、三、としをとったら三、二、一

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三十代も半ばを過ぎて、もうすぐ四十ともなると、おれのような人間はどのように死ぬかということを真剣に考えなくてはならないような気がした。今朝、そういう気がした。

おれのような人間。家庭を築くこともなく、子もなく、日々は労働と貧窮の責め苦に満たされた人間。ろくな学歴もなく、業務歴もスキルもなく、生きる術に長けていない人間。遠い将来まで生きたとしても、わずかな年金だけではとてもじゃないが暮らすことのできない人間。貯金のない人間。人脈もない人間。頼るべき親類縁者もいない人間。

思えば、なにも積み重ねてこなかった。有形、無形の資産を形成してこなかった。これから始めようにももう遅く、無いものがさらに奪われていくだけ。こんなふうに生きたいとは思わなかったが、おれにはこう生きるしかなかった。そのていどの能力しかなかった。やる気もなかった。

決断することのきらいなおれも、もう選ばなくてはいけない。いつ死ぬのか、どうやって死ぬのか。こどものころは年齢を積み重ねてきた、一、二、三。この歳になると享年からのカウントダウンが始まっている、三、二、一。〇になったら至福千年、おれをとりまく苦しみから逃げられる。おれは楽になる、楽になる。五十六億七千万年仮寝をしていればいい。おれは救われる、救われる。もうそれくらいしか楽しみはない。疾く死ばや、疾く死ばや。