人生雑感

 もう死んでもいいかしら? と思うことがある。最近。あれが嫌だ、これから逃げたい、という理由で「死にたい」というのではない。もう、だいたいやっちゃったからいいや、という感じ。ほかの皆さまと比べれば、まだぜんぜん使い込まれていない人生経験量なのだろうとは思うけれども、自分のキャパシティ的にはもうそろそろいいんじゃないのか、と。いろいろ悪いことも多かったけれども、万馬券を当てたこともあるし、おもしろい小説も読んだ、映画も観た、好きな絵も見た。好きな女の人といいこともできたし、自転車も買った。もう、これ以上、なにか上がり目があるんだろうか、というところだ。もう、そろそろ潮時じゃねえの、というところだ。そろそろ、なにか夕焼けの背景に、エンディングテーマが流れてきて、クレジットタイトルが流れてきて、それでいいんじゃねえの、と。いや、もうなにかよかったと思える日の終わりには、ずっとそんなことを考えてきたようにも思う。もう、いいんじゃねえの、いつでもあっちに呼んでくれてもかまわないよ、と。まあ、それも一種の、未来の恐怖からの「逃げたい」なんだろうな。でも、こっちが考えるように、そう簡単には終わらないもののようだ。それならそれでもいい。ダイソーでの買い物に逡巡する俺が、たとえば自死のような選択をするのには、一世紀じゃ足りない。死にたいわけではないし、死にたくないわけでもない。生きたいのに死ななければならないわけでも、死にたいのに生きなくてはならないわけでもないし、まあ生かされるなら生きていてもいいか。死ぬときは死ぬくらいでもいいかというような、そのような心持ち。なにかいいことがあれば、それに拘泥して生きたくなってしまう、生きたいのに死ななければならないことを引き受けねばならなくなるのだけれども、いいことについても、もうおまけ、ボーナスステージくらいの心持ちでのぞめば、ありがたく受け流すこともできるだろう。悪いことがあったら、それについても、もうボーナスステージでちくわじゃなくて鉄アレイぶつけられたくらいの、そのていどのことと受け流すこともできるかもしれない。そうだ、もう、俺はおまけの中にいる。エクストラ・ステージだ。よくやった、いつの間にかクリアしていた。さあ、あとは適当にやろう。もういい、もう十分だ。それじゃあ。