Long Life 3 years

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お恵みでカロリーメイトをいただいた。カロリーメイトといってもただのカロリーメイトではない。長期保存可能なロングライフだ。ロングライフ3年。

……おれは3年後も変わらずにいられるだろうか。トビウオのアーチをくぐることはないだろうが、微妙なラインである。勤めている零細企業の経営者がもうそろそろ年齢的に限界が来ている。代替わりするという話もない。代替わりしたらおれが社長ということになるが、おれほど社長に向いていない人材というのも少ないだろう。親会社的なところから誰か来て社長になるのかもしれない。そのとき、おれがどうなるかはわかった話ではない。

「どうするか」ではなく「どうなるか」だ。おれの座右の銘は無為無作だ。どのように「する」を決断し、実行することはできるだけ避けていたい。来世不可待、往世不可追也。

とはいえ、おれも凡俗なる人間にすぎないので(当たり前だ)、変化はおそろしい。いや、人並み以上におそれている。「引っ越しが趣味」や、「転職を繰り返さないと人生に飽きる」という人のことがわからない。そういう人もいるのだろうけど、おれは違うかな、というところだ。おれはとくに選ばずに、だれかの「選び」に身を任せてこんな有様だ。だからといって、「自分で選んでいればよかった」という後悔はほとんど存在しない。おれのような人間がおれのことを決めて、なにかいい結果が出るなんてことはありえない。自分の才覚については重々承知している。だからこそ、人生のエスカレーターから落ちるべきではなかったのだが、おれにはどうしようもない力が働いて落ちてしまったのだから、それはもう仕方がない。

ロングライフ3年。3年後にどうなっているのか、ということすら傲慢な発想ではある。「3年後に生きているつもりなの?」という話だ。おれにはわからない。酒の飲みすぎでいきなり死ぬかもしれないし、精神病のおれのことだ、自分で自分を害する可能性も低くない。もちろん、明日の朝に信号待ちをしていたらダンプカーが突っ込んでくる可能性だってありうる。

まあ、だからといってなんなんだ。死生は命なり。今までの人類の中で死ななかった人はいない。今いる人類の中で死なない人間はいない。たぶん。生と死の分別について自由であること、あるいは無分別について自由であること。その自適にあって無窮なるものに身を任せる。それでいい。それでいいといっても、おれが3年後に食うものに困ってカロリーメイト・ロングライフを見つけて貪り食って数日の人生をつなぐかもしれない。それもまたありうることであって、避けようともしないし、避けられるとも思わない。

 

 

 

 

 

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