個性の時代の終わりに

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個性(こせい)の意味 - goo国語辞書

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー

就職などにおいて個性というものが求められているとか、その個性というものが均質的なものに成り果てているとか、そういう話は数十年前に通り過ぎ、また帰ってきて、また去っていくような話だろう。

そんなことはどうでもいい。もっとどうでもいいネットの話をする。あるいはブログの話をする。

もう、ブロガーならブロガーの個性というものなんて、どうでもよくなってんじゃないか。もとからどうにかよいものであったかどうかはしらないが。

たとえばもっと狭い「はてな」界隈の話をすれば、はてな匿名ダイアリーが圧倒的に強く、そしておもしろい。おもしろいやつは個性を出そうなんて思わない。一発でウケる。そこを狙う。それを繰り返す。それで完結する。

おれははてな匿名ダイアリーに書き込んだことはないけれど、この自分の城のようなブログになにか書いていても、匿名ダイアリーと変わらねえな、と思うことが増えた。めったに注目されることはないが、半年に一回くらい注目されても、ブックマークしていく人はだいたいおれのことを知らない。

おれはべつにおれが何者であるかというこを知らなければならないとは思わない。思わないが、昔、どのくらい昔かはわからないが、あるていどはおれという個性、おれのパーソナリティー、あるていどの経歴を知っている人間が読むものと感じていたことはあった。

が、最近じゃあそんなことはない。一つ前の記事すら読むものは少なそうだ。当然、おれの経歴も、病歴も、興味も嗜好もなんにも知らない。そんな人が一つの記事に集まって、それで終わる。連続性のなさは匿名ダイアリーと変わらない。

おれはこの世のブログというものに面白いものがあるとすれば、その書き手が自らの内臓をぶちまけて並べて見せる、そこにあると思っていた。笑える文章を書けるライターなら、プロに任せればいい。ためになる記事なら、専門家に任せておけばいい。そんなんじゃない。そいつにしか書けないようななにかがあれば、そいつにしか綴りつづけることのできないなにかがあれば、それが価値のあるなにかだと思っていた。

ところが、もうこのインターネットというものは、そういう個性を求められなくなっている。そう感じる。一つのブログ記事どころか、140文字に収まる一発の記事で注目を集める。そして解散する。

むろん、ブログからプロの書き手になったやつも、何万人ものフォロワーがついたやつもいるだろう。それが持続するやつもいるだろう。単著のあるものもいるだろう。が、どうにもネットがより単発的になったような気がするのだ。おれのお気持ちだ。

個性の時代から個声の時代に。あるいは孤声の時代に。

それがいいとも悪いとも言わない。それはそういうものならそういうものだ。

けれどおれは古い人間なので、いままで書いてきたものを背負って、それでもおれを少しは知ってるあんたになにか書こう。ひたすら少数のもののために、手紙を書くのだ。

 

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