もう、六月でもなく八月が終わる。モーリシャスではイルカが死んでる。

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今週のお題「暑すぎる」

……暑すぎるって、もう八月の終わりも終わりだ。暑いのはたしかだ。でも、暦の上ではほぼ九月だ。でも、そんな気もしないよな。なんか春……どのくらい前だったか、ともかく今年は新型コロナウイルスの流行から、自分のなかで完全に時計が狂っちまってる。もう、六月でもなく八月が終わる。モーリシャスではイルカが死んでる。

それでも、午後六時くらいの空が夕焼けでもない微妙な色合いを見せてくれて、やっぱり秋は近いのかななんて思ってしまって。けど、そんなこと言ってる場合なのか。季節の移ろいに心ときめかせている場合か。

というのも、仕事が暇なのだ。完全に暇ではない。開店休業というわけではない。それなりにやることがないわけでもない。それでも、やっぱりやることが少なくて、月曜日が来たかと思えば、金曜日になる。土日は酒を飲みすぎる。馬券で負けすぎる。クリス・ジョンソンは今日も勝てない。

ともかく、そんな毎日にはもううんざりしている。在宅勤務になってもとから零細なのに、さらに職場はガランとしている。セーフ・ディスタンスは十分すぎる。そんな環境もなにか虚しい。もっと仕事を?

それもまっぴらだ。おれはそもそも働きたくない人間だ。「働きたくない」には、「賃労働」以外の「はたらき」も含まれる。無為無作、これがモットー。なのに、仕事が少ないことへの危機感がある。おれは文句を言いつつ、食うために働く。投げ出す度胸はない。もっとも、社会がおれを放り出す方が早いかもしれない。

先月からオランザピンを二倍にした。その効果もあってか、八月のあいだ抑うつ状態、鉛様麻痺になることもなかった。深酒(おれに処方される四種類の薬はすべて飲酒を禁じているのだが?)をして短い睡眠時間でも、なにか朝起きられる。ぼんやりしつつも定時に出勤できる。不思議なものだ。もっとも、八月はお盆に長い連休などあったのだけれど。

一方で、ぼんやりとした不安というものが強まっているのも感じる。「この仕事の締め切りがやばい」とか、そういう具体的な原因なしの不安だ。そういうのは、久々だ。ブロマゼパム飲んでなんとかやり過ごす。いや、不安ですらなにか心が動いているようで、妙な気持ちにもなる。おれはこの原因なしの不安を知っている。タカサゴユリとシンテッポウユリの見分け方を知っている。

今月だったか先月だったかその前だったか、散歩をしていて人の家の庭にチユウキンレンらしき植物を見た。日比谷花壇大船フラワーセンターの温室の前にあるやつだ。とはいえ、おれは植物の同定ができるような人間ではないので、たぶんそうだろうというだけのことだ。部屋の中で葉を落としたガジュマルを思い切って外に出してみたら、見事に葉をしげらせた。寒くなったら部屋に入れる。それまでおれが生きているとでも?

新しいテレビがほしいと思う。おれのテレビは地デジ移行時に買ったもはや古いREGZAだ。いつ壊れてもおかしくはないかもしれない。十月にはすばらしいストライクウィッチーズの新作が放送される。そのときにテレビが壊れていたらどうするんだ? まだ、今ならテレビを買う金はある。買ってしまってもいいのではないか。でも、このテレビはまだ映る。

まだ、ラジオから「若者のすべて」は流れない。夏、真っ盛りなのかもしれない。時計が止まってしまったようなこの世界。ただ、野菜ばかりが高くなっていく。頭が痛ければバファリンを飲んで酒を飲む。胃の調子が悪ければパンシロンを飲んで酒を飲む。もう、全部どうにでもなってしまえばいい。そして大佐に手紙はこない。

 

 

若者のすべて

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  • 発売日: 2016/05/25
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