またまた寄稿いたしました。よろしければこちらの記事をお読みください。
お読みになりましたか?
読みましたか?
読んだ?
読んだよね?
読むって言ってくれたよね?
あたし、バカじゃないんだから!
……というわけで、このごろのインターネットにはライフ(人生、生活)を語る人が少なくなったなーということでございます。
少なくなったのではなく、語らなくなった人が増えた結果、比率が減った、ということかもしれません。そして、それはもう、目が悪くなったおれの目にはうつらないということかもしれません。
たぶん、そうなんだろうな。でも、それでも、おれの目に入ってくるのは、着飾った文章、おもしろさを演出しようとした文章、役に立ちそうな文章、そんなものばかり……。
どうも、ライフが足らない。そういうふうに思う人はいませんか。
で、このおれのこの日記、この場においても、おれがライフを語ってねえな、と思うことはありませんか? そうです、もう、書くこと書いてしまったら、また同じこと書くしかないわけです。同じこと書くのはあまりおもしろくないので、目の前の新しいことにすり寄ったり、噛み付いたりするだけです。ああ、ライフが足りない。
インターネットにそういうものを求めるのは、もう古い発想なのかもしれません。それでも、人生を血の文字で綴る人はいます。いますけれど、少数派であって、もうスポットライトを浴びることもない。あるいは、自分もそういう少数の人間なのかもしれません。
しかし、少数でいいではないですか。インターネットという場だからこそ、仮面を被る必要はない。逆だ。愛想笑いを剥ぎ取って、むき出しでぶちまけるべきだ。おべっかもお愛想もいらない。本音を、本性を、叩きつけてみろ。できないなら、おまえは、所詮、この世間というものにおもねった、しょうもないモブの一人にしかなれない。それでいいのか。それじゃつまらんだろ。やってみせろ、やれ、やるんだ、人殺しの顔をしろ!
と、おれは思うのですが、どうですかね? で、たとえばはてな社さん、あなた、社員のあなた、もし読んでいるなら、いくらかはそういう言葉が残されるこのブログ、百年、百年もたせてくださいよ。その覚悟を持ってほしい。おれは、そう思うのです。間違ってますかね? 何時間後かに消えてしまうサービスがあってもいいだろう。でも、そうじゃない、ひたすらに長く、人間の恥を刻みつけるサービスがあったっていいでしょう。そういうことです。