週刊はてなブログさんに寄稿しましたが、恥ずかしいので自分では読めません

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週刊はてなブログさんの【「ブログを書く」ってどんなこと?】シリーズに寄稿いたしました。ご覧いただければ幸いです。いつもお読みいただいてる読者の方、お恵みを贈っていただいている方、そして、お手紙を引用させていただいた方にあらためて感謝いたします。

えー、なんというか、緊張しております。

だって、自分で自分のことを書くのですよ。これは率直に言えば恥ずかしい。「え、てめえで、てめえのブログ論を書くことあるだろ」という声もあるかもしれません。

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でも、これ、自分の庭でやってることなんですよね。今回は出張している。いや、何度もBooks & Appsさんに出張もしていますが(お世話になっております)、今回ははてなのメディアではてなブログを書くことを書いているので、なんかちょっと違うのです。

……いや、本当のことを言うと、自分の文章について書いていることについて面映ゆくて仕方がない。だって、文章ってそこにあるじゃないですか。その場でわかってしまう。たとえば自分について「寿町のチンピラっぽい格好をした左耳に三つピアスをしている背の低い冴えない無精髭で眼鏡の四十路」という今現在の容姿を書いたところで、なんてことはない。けれど、文章はこれですから、これ、今あなたが読んでいるこれだ。それはもう恥ずかしい。もちろん、この姿を見られても恥ずかしいのだけれど。

でもまあ、それは上の記事の本筋ではありません。そうです、べつに隠していたわけでもありませんが、今回ご紹介してもよいとお返事いただいたので書きますが、八十代の読者がいるのですよ。ここだけ自画自賛していいですか? わーい、おれ、すげー。まじで。

なんかほとんどどうしようもないというか、わけのわからないことばかり書き散らかして、一本筋の通ったテーマも題材もなく、まさしく雑記、雑ブログ、これにそう、けっこうな読者の方がいるのですよ。これを読んでるあなたに言いますけれどね、質も身に余るものだとね、何様ですかね、なんですかね? やっぱり文章が……いやっ、恥ずかしい! 今、孔雀が一羽死にました。

ひょっとしたら、なにかこう、べつに特別なことがないのがいいのかもしれないとも思います。平均的な人生や考え方というものがどういうものかわからないけれど、そこからそれほど乖離していない。わりと共感してもらえる。そうかもしれない。そういうことにしておこう。

 

……おれは狂っているのに、一体なにに共感するんだ? みんなおかしいのか?

 

会社のビルの隣がいま空き地になっていて、土の上にマルチングしてあるんですけど、ちょっとめくれた隙間から雑草が生えてきているんですよね。むしろ、ライバルがいないぶんかなりでかく生長しちゃってる。植物は強いよな、と思います。

では、人間は強いのか弱いのか。強いといえば強いし、弱いといえば弱い。この強弱にうまいこと沿うようにして、いい人面(じんめん、ではなく「いいひとづら」です)してたら、それなりになんかちょっといいんじゃねえかってなったりするようなね。地面に寝っ転がって、社会の下の方からぶつぶつ害のないこと言ってるっていうか。ああ、なに言ってるんだかわかんねえな。

ああ、なんか恥ずかしいな。恥ずかしいのに耐えられないからnoteに行きます。いや、嘘です。こうなったら恥知らずのブログ書きとして、はてなに居座ってやります。ただし、はてなよ、おれより先になくなってはいけない。おれのくだらない書き物を、次の世代、その次の世代へ伝えてください。よろしくおねがいします。

できることなら、この時代のあらゆる一切合切を、後世に残したい。そんな途方もない妄想がある。いったいそれがどのような形になっているかわかりはしない。それにいったい、いつの瞬間の一切合切なのか。時は流れる。固定されない。それは変化する。

それでも、それでも、書かれた文章は、まあそのまま残る。笑えるじゃないか。偉大な文学でも、貴重な歴史書でもないのに、このデジタルの時代は、ネットの時代は、しょうもないものが残る。おれが馬券に負けた記録が残る。後世のやつに笑われたい(いま笑ってくれてももちろん構いませんよ)。

おれはそれに賭けたい。おれの文章をそれに賭けよう。

配当はなにかわからないし、なんの見返りがなくてもいい。そんな気持ち。

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