駆り立てたのは自己顕示欲

寄稿いたしました。

blog.tinect.jp

Twitterと、ついでに5chの混乱から、ネットについての話などしました。読んで下さいましたか。読んでくれましたか。ありがとうございます。

 

さて、「混乱」、「これ書いてから掲載されるまでの間になにか変わっているだろうな」と思っていたら、ぜんぜん変わっていなかった。おれ自身は出会ったことがないのでわからないけれど、閲覧制限が解除されたという話も聞かないし、逆にスレッズが機能追加しましたよ、という話も聞かない。せいぜい5chに人が戻ってきたというくらいだろうか。いまどき5chという話かもしれないが。

 

それにしてもなんだろう、SNS以前になんでネットでもの書いて公開してんだという話だ。なんで「goldhead」というハンドルを維持したい、確保したいという思いがあるのか。

 

それはもう、自己顕示欲だ。いくら考えてもそれ以外出てこない。「お恵みものやお金が手に入るのでは」という話もないではないが、副次的なものだ。おれがそれらに気づいたのは、おれがそれらに気づかなかった期間より短い。

 

「お金が手に入るのでは」で思い出したが、おれは先日この日記から一切の広告を消去しようと思った。なぜなら、なんか読みにくいし、ださいからだ。それで、切ろうと思って久しぶりにGoogleの広告管理ページ見たら、チャリン、チャリンと小銭を貯めている。数十円ずつ。けなげな話ではないか。おれは広告を消すのをやめた。広告を消すのはそっちでやってくれ。とっくにやっているか。あ、けど、有料記事とか増やしてその収益が出るようになったら消します。

 

まあいい、そもそも匿名掲示板だった。そのなかで、匿名ではなく「おれだよ、おれ」という思いが強くなってしまった。おれ、なんか面白いこと書くからほめてよ。おれ、なんか役に立つこと書くから評価してよ。それは「名無しさん」ではだめで、コテハンでも物足りなくて、ブログという一国一城(というには吹けば飛びそうな掘っ立て小屋だが)の主になった。それがある。

 

そんな自意識でいても、もちろんネットにはおれよりも面白いこと、役に立つことを書く人がたくさんいる。ネットは全国規模どころか、世界だし、それはもうすごい。そういう人たちがおれには考えられないほどの注目を浴びる。やがて、舞台はテキストから動画に移っていったりもする。

 

なのに、おれが辞めないのはなぜか。まだまだやり足りないというところがある。もっとあるんじゃないのか。なんかあるんじゃないのか。書いていてこれだというものがあるんじゃないのか。そんなものがある。執着というには執念が足りず、希望というには望みが足りない。ただ、なんとなく、まだ書ききっていない。そして、生きていれば書きたいことも出てくる。

 

そしておれは今日も少数の者のために手紙を書く。

 

goldhead.hatenablog.com

初期衝動さえあればいい。その衝動がただひたすらにものを書くこと、だれかの目に触れさせること、それを持続させることにつながるのだから。最初の「公開する」ボタンを押した瞬間からそれは始まり、あなたが息絶えるまでそれは終わりません。

文章というものは、書けば書くほど上達するものではありません。それは肉体が衰えるのと同じように、年齢とともに衰えていくものです。あなたが十年もブログを書けば、十年前の自分の文章を見て、そのみずみずしさ、機転、リズムにおどろくことがあるでしょう。それでも、その十年前を読むためには、十年後が必要なのです。

少数の者たちのために書きなさい。あなたが特別な才に恵まれていないかぎり、あなたの書くものを読む人はあまりいないでしょう。ほとんどいないでしょう。しかし。少数の者のために書き続ければ、少数の者が読んでくれるようになるでしょう。そこにだけ届けばいいのです。それ以上なにを望めというのか。

 

さて、おれはさらにあと十年書けるだろうか。そのころ、はてなブログは残っているだろうか。なにもわからない。わからないけれど、たまに「なにも文章を書く気がしない」となる。でも、なんとなく戻ってキーを叩いている。

 

おれはこんな感じだが、みんなはどんな感じだろう。べつにおれに伝える必要はないけど、どこかで放流すれば、それをおれが見ることがあるかもしれない。そんなものでいい。