3.11から10年 やはりおれは日常というものを、少し怖いものだと思う

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2011年3月19日撮影

「3.11」から10年経つという。10年だからどうだという話ではないが、10年だしやはり、という気にもなる。やはりといったところで、やはりどうするのか、とくになにがあるわけでもない。

10年前の3月ごろの写真を見てみた。10年前のおれは今と違うアパートに住んでいたようだ。今のアパートから徒歩3分くらいのところだ。この貼り紙は停電に伴う断水についての告知だが、はたして断水が行われたのかどうか、おれはおぼえていない。

おれは、おぼえていない。

おれは物事をおぼえられない類の人間だけれども、ほんとうに多くのことを忘れてしまった。

たとえば、原子力発電所の事故でたくさん流れてきた情報、知識。今は、そのとき知っていた放射線や原子炉の仕組みの1/10、いや、1/100もおぼえていないだろう。

ただ、横浜市にいたおれにとっても、人生で最大の地震だった。会社の外に出ると、うちよりもずっとでかいビルがグラングラン揺れて、一部が剥がれて倒れそうになった光景はおぼえている。場面は、おぼえている。

場面以外でおぼえていること。たぶん、前にも書いたことだ。だけど、また書く。「日常」というものの社会を覆い尽くす圧倒的な力だ。あんなに国土が破壊され、人が死に、原子力発電所も無茶苦茶になったのに、気づいたら日常生活が戻っていた。どうしてそうなんだ? どうして平気なんだ? ただ、おれがいつの時点でそう思ったか、おぼえていない。

むろん、これはほとんど被害らしい被害もない横浜市に住む人間の言うことである。あの地域に暮らし、地震津波原発事故のもっと直接的な被害をうけた人には、自分とは比べようのないその人なりの思いがあるだろう。だが、おれはその人ではないので代弁することはできない。

いつの間にか日常に戻った。おれは日常というものを、少し怖いものだと思うようになった。もっとも、人類の長い歴史のなかで、大災害、あるいは戦争なども起きた。そのたび、生き残った人間は日常を取り戻してきた。やけになった人類が、最後の一人になるまでお互いに殺し合ったり、子孫を残すのをやめたりはしなかった。

それは希望だ、とも言えるだろう。けれど、おれは少し怖いのだ。この感じ方はどこから来るのだろうか。

ひとつに、おれの日常、おれの生活、おれの人生が恵まれていないということがある。普通の日々に戻れば、おれはやはり底辺の方で常に苦痛を受けつつ暮らすことになる。精神障害者として、なんとか自立して生きるしかない。

繰り返すが、あくまでこれは自分のことだ。社会の混乱をよろこぶわけではない。ただ、上級国民も底辺もみな等しく無力になる、その状態に少しでもよろこびがなかったかどうかと言われると、おれは嘘がつけない。少しはそういう気持ちがあった。

同じことがいま、2021年にも起きている。新型コロナウイルスの流行だ。しかし、やはりおれはまた感じている。日常の戻り方を感じている。むろん、まだ収束はしていない。特効薬はまだ見つかっていないが、ワクチンは開発され、なんとか道筋はありそうだ、というところだ。それでも、去年の緊急事態宣言下と、いまの緊急事態宣言下の空気は、まるで違う。みなはマスクをすることが当たり前になり、街にはそれなりの人出があるようだ。この間ひさびさに電車に乗ったら、わりと普通にたくさんの乗客がいた。

また、日常が戻ってきている。圧倒的な力だ。おれはこれに押しつぶされながら、生きるしかないのだろう。いや、日常に助けられて生きている面もある。そうでなければ、おれの精神はもたないかもしれないのだから。

それでも、日常は「忘れろ」とは言わないが、われわれに忘却をもたらす。記念に残すこと、語り継ぐことは、それに対する、人々のせめてもの抵抗なのだろうか。

いつか東北に旅行に行こう。そんなことも言っていたように思う。結局、そんな金も暇もないままときは過ぎた。おれも女も歳をとったし、もうそんな行動力もなくなってしまった。

東京電力に対する「なんか嫌な感じ」から会社の電力会社をべつのところに切り替えたこともある。しかし、ついこないだ東電の営業マンが来て、さらに安くしますというので、また東京電力に戻してしまった。この文章も、東京電力の電気の力を借りて書かれている。

つまりは、なんだろう、そういうことだ。

 

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