日常に帰ったところで


 3月11日の夜、木造安アパートの部屋に戻った俺が見たものは、崩れ落ちた本に、積み重なった衣料、冷蔵庫の前に落ちている割れ鏡などだった。……まったく、朝部屋を出たときと変わりない光景だった。俺の部屋は地震に揺さぶられなくとも、すでにゴミ部屋だったといっていい。
 それと同じことを再体験しつつある。日常への回帰。「日ごろと同じように生活しよう」、「普段の消費活動をつづけよう」、結構な話。ただ、俺が日常に帰ったところで、消費するための金はなく、俺の生活はといえばいつ食えなくなるかビクビクして生きているのか死んでいるのかわからないようなもの。停滞続く日本経済と運命を共にするしかない、あるいは真っ先に死ぬ船底の奴隷。経済的な不安と恐怖に支配されている毎日、それが俺の日常。
 思えば、地震のあと俺は頭がおかしくなりながらも、若干いきいきしていたことは否めない。生き残るためと思い、ドイタートランスアルパインに避難用具を詰めているとき、俺は楽しんでいなかったか? ベッドの下にどんな靴を用意するか、食糧をどんな順で食べるか、おもしろがっていなかったか? 答えは言うまでもない。ああ、そうだ、おまえらが買い占めた100円ローソンのカップ麺は、俺の毎日の昼食だったんだ。ふざけんな。
 しかしながら、ともかく俺は今のところ避難所にいないし、アパートも職場もある。どちらも横浜はじまったな市中区にあって、毎時間電気すら通っている。水も、ガスも、料金が払えているうちは。
 俺は自分で言うのもなんだが、感じやすい人間だ。悲観のビジョナリー。ガスにまっさきに反応するカナリヤみたいなやつ。そして、真っ先に「俺はこんなところで隠れているのはゴメンだ! 一人で逃げる!」って言い出して真っ先に惨殺体になって発見されるやつ。地震の、放射能の恐怖とともに、それより先の日常の恐怖を嗅ぎ取っている。ただでさえ、沈み行く、不安にまみれた日常が、大災害がもたらす経済的大被害でとどめを刺される光景。
 こんなこと今言うべきことか? もっともっと取り返しのつかないような被害を蒙り続けている人がいる中で? いや、それでも俺は言うね。俺は俺の恐怖や不安の元をいつでもえぐり出して見えるようにしておかなければいけないし、そうでしか最低限の平穏を保てない。体面もくそもあるか。地震より前からだって、後だって、何があろうと、俺は弱い人間だし、怯えているし、怒っている。そんなとるに足らない人間の、ちっぽけな愚痴も、こうやって言えるうちは言っておく。いつまで言えるかもわからない、腹の中ぜんぶ晒してやる。