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金曜日に地震があった。自分の体験、身の回りの人の体験としては、11日の日記に書いたくらいのことだった。はじめのうちは、楽しみにしていた深夜のアニメが放送されるのかどうか、くらいのことは考えていた。
地震の本当の規模を知ったのは、アパートに帰ってテレビを見てからだった。NHKの田畑や住居を飲み込んでいく洪水の濁流。濁流と言っていいかどうかもわからない、あの映像。そして、深夜になって放送された、自衛隊撮影の気仙沼。帰宅困難者どうこうという話ではない。
そして俺は、情報の洪水に飲み込まれた。鮮明な画像で繰り返し伝えられる被害、Twitterを埋め尽くす文字、さらには、画面の向こう側のことでない余震、余震、余震。11日から12日の深夜にかけて、俺はほんとうに怖かった。怖がっていた。バックに食糧や着替え、薬を詰め込み、靴も部屋の中に用意した。横になるときも、音量を下げたテレビをつけっぱなしにして、緊急地震速報の警告音に備えた。不思議なことに、いや、そのように作られているのかもしれないが、俺はきちんと緊急地震速報に反応して起きた。起きて、長野県栄村の地震を見る。プレートテクトニクス的には関係しているのかもしれないが、最初の地震とはべつの地震。そこにまた、関東地方への速報。なんだかわからない。余震と呼べるのかどうか。ようするに、あらたなる本震が、この南関東、神奈川、横浜、横浜市中区を襲うのではないか。この夜にかぎっては、いくら心配しすぎても心配しすぎるということはないはずだ。俺は間違っていない、大丈夫か、大丈夫じゃないのか。情報は、震源は、被害は。
明けて12日土曜日。ろくに眠れてはいない。睡眠時無呼吸症候群用のマウスピースもほとんどつけていなかった。そして、朝から外を見ては、変な雲を地震雲じゃないかと思って写真に収めたりもする。カラスの鳴き声も、なにもかも地震の予兆じゃないかと思う。前日か、前々日の朝に聞いたカラスの合唱も、あれも地震と関係あるんじゃないかと思う。
この日、なにをしていたのか。そうだ、一度、会社の様子を見に行ったのだ。場合によっては、昨夜帰宅困難になった人が残っているかもしれない。連絡が取れていなかった。俺は、昨夜用意した緊急用の、とはいってもふだんから使っているパンパンに膨らんだドイタートランスアルパインを背負って、会社に向かった。向かうまでにも、なかなかテレビから離れられず、時間がかかった。
会社には誰もいなかった。そこから連絡を取ってみるとつながり、みなどうにかなったようだ。メールチェックをするために、パソコンを立ち上げる。そこでもまた、ネットに接続して情報を漁る。自宅では、テレビとiPhone。その後、コンビニ、棚に菓子パン、弁当の類はなかったが、飲料やインスタント食品はある。袋ラーメンの詰め合わせと、カップ麺をふたつほど買う。また、帰りにスーパーに寄ると、そこはまったくの平常運転で、普段あるものでないものはない、という具合だった。街行く人びとも、いかにも普通という具合であって、話している内容などはさすがに地震の話題のようだったが。スーパーでは、電子レンジ用の米などを買った。俺はこのところ金がなくて、ほとんどモヤシとキャベツを蒸して食べることが多く、日持ちする炭水化物、レトルト、インスタント食品などをいっさい欠いていたからだ。
いくぶん、街の様子で落ち着いた気持ちにもなった。が、部屋に帰ってからはやはりテレビに釘付けになり、原発の問題などもあらたに出てきて、テレビとツイートの洪水に飲まれた。なにが正しい情報で、なにが不確定な情報なのか。あるいは、なにが正しいふるまいで、なにが正しくないのか。なにをどうすれば間違っていないのか、正しくないのか。タイムラインもふだんとはまったく違う。あまり【拡散希望】を拡散しない人たちのはずが、そうではなくなっている。言うまでもないが、俺もリツイートなどしては、それをしてよかったのか考える。わけがわからない。しかし、テレビにも、iPhoneにも釘付けだった。さらに強烈な睡眠時無呼吸症候群の眠気が襲ってきて、でも原発の爆発的事象は? 知りたい、知りたい、知りたい。しかし、しかし、俺はもう限界だった。俺はマウスピースをはめて寝てしまった。テレビのスイッチも切っていた。
13日、朝。長時間眠った。目が覚めて、しばらくまたテレビとiPhoneにとらわれた。しかし、睡眠でいくらかクリアになっていた俺は、このままではまずいと判断を下した。このままでは、完全に精神が根腐れしていく感じがした。もとよりメンヘルのプリントアウト系人間なのは自覚しているが、その自覚というたがが外れそうになった。自分の不安や恐怖、恐慌をそれとわからなくなる感じ。『ニュークリア・エイジ』になる。自分がコントロールできないところに行く。行ったことがないからわからないが、そういうドロ沼への沈み込み。自分で自分をモニタリングできなくなる。地震が怖すぎて、なにをするかわからない、なにもしなくなるかもしれない。頭がおかしくなる。
頭がおかしくなるので、頭を切りに床屋に行った。ここのところ金がなかったから、少し髪が伸びていたのだ。「気象庁がマグニチュードを9.0に引き上げました」というテレビのニュースを聞きながら、ハサミが頭を刈り、鋭利なカミソリが喉を、首筋を剃っていった。もし地震が起きたら、危険? あぶない? 知った話か。俺は髪を切りたかったんだ。あと、よくわからないが、なぜか今までないほどに混んでいたぜ、床屋。俺が入るときもたくさんいて、俺が出るときには立って待ってるやつがいたくらいだ。これは意味がわからなかったな。
そして俺は、会社に行って、外していたトゥークリップを付け直した。地震の夜、普段乗りの小径車を帰宅困難の人に貸したので、R2に乗って帰ることになったが、靴があわなかったから外していたのだ。こんなときに、なにがあるかわからないのに、トゥークリップ? いざというとき、誰かが乗れなくなるかもしれないのに? イエス、ふざけんな、トゥークリップなしのペダルが漕げるか。ふわふわしてやってらんねえよ。俺の自転車だ、なんのためにすばらしい三ヶ島の蹴返しまでつけてんだ。ほら、しっくりくる。くそったれ、どこ行く? 行きたいところへ!
海だぞ、ふざけんな、津波こいクソが。まっさきに「津波なう」ってツイートしてやんよ。
もう注意報も解除されてんだし、なにより閉鎖されてねえじゃねえか。路線バスも来てるじゃねえか。絶賛営業中だ、俺の王国、俺はここで死にたいんだ。
なにもかもいいじゃねえか。青い空、海、ガントリークレーン、貨物船。左上のCMOSの汚れも気にならないね!(うそだが)
てめえ、でかい船、この野郎、どこへでも行きやがれ。
本、読んでやる、バカが。何いってんだてめえ、折口信夫と柳田國男がすげえんだな。わかったよ、帰り本屋で買ってやる。
まったく、こんなところに来ている連中。意外に多いな! カップル、小さいガキ、まっさきにやばいんだぜ、ここ。そういうのどう思うんだ、『プライベート・ライアン』のオマハビーチ、ぱかっとひらいてすぐに撃たれるやつらのことだ。まあ、そんなもんか。いや、高いビルのほうがやばいか? それとも、ふつうに自動車運転してる方がやばいか? わかんねえな。
考えてみれば、とっくに俺は、地震とかなくても、すっかりこの世に絶望してて、口を開けば悲観と不幸を撒き散らかしてた、病原菌みたいなやつだぜ。まともなことを、誰かがよろこぶようなもの、誰かのためになるような前向きなことを書いた試しがない。それがなんだ、今さら地震でなんだってんだ。何もかも終わり、ラーメンが獣臭い世界の住人なんだ。だったらなんだ、スッキリしてやるよ、スッキリやってくよ。サクっと流されてそれで終わりでいいじゃねか。いや、流されたくはないけどな。
ああ、そうだな、俺がほんとうに怖がっていたのは、最初から怖がっていたのは、後のことだ、後のことって大地震が我が身を襲うことじゃないね。はっきり言えば、今回の東北地方太平洋沖地震が現状で一区切りするとした、その後にくるもののことだ。すなわち、日本という国がその身を大きく抉られ、大きなものが失われ、その後の経済世界で、俺が食いっぱぐれるであろうということだ。
まったく、小さい、俺のこと、俺のことだけだ。ちくしょうめ、しかし、地震がなくったって一緒だったんだ。それが早まるだけのことだ。誰も助けに来ない、同情もされない、生活の喪失、だけど、俺のこの身に起こるリアル。
実際に大勢の人間が生活を、あるいは生命を失ったなかで、こんなことをのうのうと述べることがどういうことか? 俺にだってわからないわけはない。いや、わかる。これについては口を閉ざすべきだ。ただ、俺は俺が根腐れしないようにスッキリしようとして、はっきりとこれに気づいた。まったくもう、多くのものが失われて、もとに戻らない。あまりにも大きなものが失われて、元通りにはなりそうにない。それは直接の被災に限らない。失われる経済、失われる電力。あらゆる生活のベース。わかってる、これを今言うのは間違っている。悪いことだ。俺にはそれがわかる。分別つく。分別つくていどに正常だ。
くそ、それでも、心の根腐れに比べてマシだと言ったら、あんたは怒るだろうか。ただ、社会の下の方にいる人間にとって、スーパーで食い物がなくなっていく光景というのは、なにかこう、べつの、おそらくはべつの怖さがあるんだ。それで、なんだ、まだ地震的に、我が身になにがあるかわかんねえし(気象庁の余震予測知ったのはついさっきで、知ってれば出かけなかったと思うが)、言いたいことは言っておく。言っておくことで、また俺は俺をモニタリングできるし、俺はものを言ったとたんにそれが嘘になるような気がする人間だし、なんだその、客観視、汚物を引きずりだして、それを読んだ他人がどう思うかしらねえが、俺はスッキリしちまうんだよ、悪かったな。
ああ、だけど、頭をスッキリさせすぎたついでに言えば、俺はいくらか前向きにもなれる。なんとかいう総理大臣が言ってたが、もうこの国は造り直さなきゃいけないんだろう。そういうレベルの復興だ。沈みゆくタイタニックではなくなり、一からタイタニックを造る。いや、タイタニックじゃなくて、おんぼろヨットでもかまわないが、なにかそういうことなら、大勢の人間が必要になるだろうし、そのなかで自分も必要にされるかもしれない。微力であれ、猫の手であれ、居場所ができるかもしれない。いや、馬鹿で技能もなく腕力もない、口先だけの人間には無理か。いや、しかし、最初の地震のとき、わっと外に出て、いろんなビルから偉そうなビジネスマンのおっさんとかロシア人のおねーさんとかあまり勤め人には見えない俺とか出てきて、それで、まったく知らない者同士なのに、なんかこう、悪くない空気になる。ビルはぐらんぐらん揺れて、電線も波打ちまくってるのに、妙に仲良くなれる感じがある。ああいう感じがしばらくの間でもつづけば、いくらか日常的になれば、それなりにやっていけるんじゃねえか。まったくの夢か? まあいいさ、どうにでもなれ、勝手に生きろ、俺もそうする。